影絵の木の葉 - フリーゲーム/RPG等のレビューと感想

 ゲーム評論家(自称)がゲーム全般・フリーゲーム・音楽・文学などについて、熱っぽく本音で語っていきます。自分に嘘はつけない。

クラウドファンディング・支援先と込めた想い

(支援中)"【PIECES PROJECT】高校を辞めた子たちの、次の一歩を応援したい!"を、応援しています。再チャレンジについて。【クラウドファンディング】

一度レールを外れた人間の再チャレンジが可能な社会にしていきたい。人が人として尊重されるようになってほしい。一つずつでも変えていきたい。


【PIECES PROJECT】高校を辞めた子たちの、次の一歩を応援したい!

(※クラウドファンディングとは、ネットを介して不特定多数から資金を集めるという新しい仕組みです。読者のあなたも街頭で募金するかのように参加できます。3000円から、コンビニ払い可)


今の日本は「一度も失敗していないこと」が非常に重要視される社会だ。特に雇用において。

だから無能な官僚のように、前例を踏襲した批判されにくいだけで全く効果的でないことが実行され、本当に価値あるチャレンジや提案を行いにくくなってしまっている。そもそも、何が失敗で何が成功かなんてすぐにはわからない。歴史的な視野での検討が必要。勝手に決めつけんな。


かくいう私もレールを外れた人間だ。途中まではレールの上を行くことにひどく拘泥し、自分をだまそうと必死になっていた。しかし、そんなことをしていてもどんどん不幸になっていくだけだということに気づいて、それを辞めた。

まだまだ十分な結果は出ていないし、整備されていない道なので歩んでいくには勇気も必要だが、風通しはいい。人に歩かされているのではなく、自分の足で歩んでいるという実感がある。一日の終わりには心地良い疲労と、少しずつ良い方向へと向かっている、問題にコミットメントしているという統制感がある。
これは非常に重要だ。心が死んで日銭を稼ぐだけになってしまう人生に幸福はない。断言してもいい。なぜなら、かつての私自身がそうだったから。


人間は、社会の現状について何も知らない状態でこの世に生を受ける。迷っている人や苦しんでいる人がいて当然だ。そういう人は殺人的な視線にさらされ、ひどく孤独なことが多い。
そういう人を馬鹿にする風潮があるがそれは間違っている。人間の成長は画一的なプロセスを踏むわけではないし、唯一の正解を目指して画一的な人間にならなければならないわけでもない。

例えばユングによると、人間の成長や人生とは、個人が生まれ持った能力を開花させ実現させることだという。その際に二つの対立する概念に心はひどくかき乱されることになる。意識と無意識、外向と内向、感情と思考など。綺麗事じゃ生きてはいけないんだよ。

支援に込めた想い - なぜPIECESを選んだのか

こういう社会的弱者を支援するソーシャルグッドなクラウドファンディングはいくつか存在する。
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(支援中)"東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作りたい!"(藤田直哉)を応援しています。私の震災と残された傷痕。【クラウドファンディング】

「傷」の言語化と共有の重要性

東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作りたい!(CAMPFIRE)

少額ですが、支援させていただきました。
募集終了までは、あと3日です。最低額(3000円)でも、集まった作品を読み、感想をフィードバックするための特設サイトにアクセスできるようになりますよ。コンビニ払いも可。

クラウドファンディングというのは、簡単に説明すると、ネットを介して不特定多数の人間から資金提供を募ることです。

ところで、私は「見た目がいいこと」や「偽善っぽいこと」が嫌いだ。もちろん、今回の試みやその他のたくさんの方の善意、行動、支援等を非難するつもりはまったくなく、「見た目」だけで本質が伴っていないことが嫌いだという意味だ。
そんな私が、「社会的にいいこと」に対しての自らのコミットメントをアピールするようなこの記事をなぜ書こうと思ったのか(どんな形でも、一円でも多くの資金が集まればいいと思うけど)、お時間のある方は少し聞いてほしい。このクラウドファンディングは、私にとって他人事だと思えなかったのだ。

支援に込めた想い - 私の震災と残された傷痕

東日本大震災のあの日、出不精な私にはかなり珍しく海外にいた。

なので、あの揺れやその直後の混乱については、ニュースで伝え聞くだけで、リアルな感覚を共有していない。
英語のニュース番組で、earthquakeがJapanで起きた、ということを目にしても、どこか信じられないというか、大きな災害が起きたということの現実感に乏しかった。私の頭の中は、慣れない海外の観察と行動で埋め尽くされていた。

こういう経緯もあってか、帰国しても震災はどこか遠くの世界で起きた出来事のような感じがしていた。ではなぜ、今回のクラウドファンディングに身銭を切って支援しようと思ったのか。(私はどちらかと言えば貧乏なほうなので、少額とはいえ自分にとっては大きいことだ。)

それは、衝撃的な出来事の経験・思考・感情を文学として共有することが大切だと思っているからだ。


震災はたくさんの方々の肉体と精神、生活と人生に傷を残した。その「傷」が私にとって他人事には思えなかった。
私もとある過去の出来事によって深い傷を負った。今もまだ苛まれている。その傷の癒しにおいて、文学や音楽などの芸術の力が占めた割合はとても大きい。

幸運にも他者からの豊かな支援を受けられたらいいが、そうではない場合も世界には厳然として存在する。ちょうど私のように。

文学を始めとする創作は、人類の共有財産だ。そこにアクセスすることは、他の手段で回復を試みるよりはずっと容易に始められる。しかも大きな効果が見込まれる。


まだまだ、苦しんでいる方がたくさんいるのだろう。原発の事故もあったせいか偏見もあり、最近でもそれが原因で子どもがいじめの被害にあったというニュースも聞く。あまりにも悲しい。
あれ、問題を解決すべき立場の教師が主体的にかかわっていたんだっけ。近頃、そういうの多いね。みんな病んでいるのかな。それとも太古の昔から繰り返されてきたことなのか。職業や立場の前に、みんな人間だということなのか。


技術的には洗練されていないし、高度でもない。しかし、そこに描き出されている出来事、感情、思考には、私を突き動かす何かがある。〈リアル〉の手触りとしか言いようがないものがある。(藤田氏のコメントより引用)

本ブログはフリーゲームを専門的に扱っておりますが、こういうの好きです。共通点を感じます。あるいは、おすすめの名作・傑作けいおんSS 10選とその感想まとめ 【鬱・切ない系多め】のようなものとも。けいおんというアニメの二次創作SSは、震災とはほぼ関係ありませんが、たくさんの「傷」の言語化と共有という点では共通していると思います。あるいは、ネット上の掲示板等にもそんな匂いを私は感じ取っています。あまり何でも一緒くたにしないほうがいいのかもしれませんが。

簡単には言葉にならないような複雑なこと、人に言ってもどうせ伝わらないと思って口にするのをためらってしまうようなこと。とても孤立していて孤独ではあるけれども、決して消えてはならないような言葉が、きっとあるはずだと思うんです。


東日本大震災を経験した人たちの「言葉」を集める――新しい文芸誌の創刊に向けて 文芸評論家、藤田直哉氏インタビューより引用。とても共感し、重要だと感じました。


それでは、東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作りたい!(CAMPFIRE)という、体験の言語化と共有の試み、期待しております。集まった作品が読めることも楽しみです。


東日本大震災後文学論
限界研
南雲堂
2017-03-10

藤田氏の編著。


ご著書。

【ニコ生】ぬっきー配信再開!いま私は、ぬっきーもシンジも両方見たい。そんな心境と彼らの個人的感想(失礼)。

ぬっきーさんの「最後の枠」は、引退詐欺で配信復帰宣言となりました。

ぬっきーは 生放送 やめ へん で~

ドッキリ大成功

ということみたいです。

私としては素直にうれしいです。その次の日(4月10日)の夜の枠も雰囲気良くて面白かったし。
思えば、私がニコ生を本格的に見始めたきっかけがぬっきーでした(このあたりのことや引退配信前夜のことは、【ニコ生】引退?復活?ぬっきーを6つの動画で改めて振り返るの後半に書いてある)。ニコ生を見る前は厨ポケ狩り講座のもこうを見てました。


ぬっきーを見始めた(=ニコ生を見始めた)ころは、他の配信者はほとんど見ていませんでした。当時のぬっきーの配信量がすごかったので、TSを消化しているとなかなか他の配信者を見る余裕がなかったということもあります。




しばらくたって、ウル4繋がりでフェンリルの配信も見るようになりました。初めて彼の配信を見たときは「なにこのサイコパスみたいな人?」と思っていました。なんだかんだでよく見る配信の一つになっていきました。今の配信もLOLはやったことないし、見ていても一向に内容が理解できないけど割と見ています。フェンリルという人間自体が面白く魅力的です。


ドラクエ繋がりでいつの間にかシンジの配信も見るようになりました。初めて見たとき彼は、「お前ら、恋してますか?」と何回もリスナーに問いかけていたりして、「なにこの人?出会い厨なの?」と思っていました。しかもなんか恋に破れたらしく顔出しで号泣し始めるし(今思えばSさんの件だったのかな?)。
しかし、ぬっきーが約8か月の長期休止に入る少し前くらいから、配信を見る優先順位がぬっきーを越えて自分の中でシンジがトップになりました。どんどん彼の放送の面白さに気付いていきました。今では私もふわっちで花火を打ち上げています。




ところで、ぬっきーとシンジは、語弊を恐れずに言うと敵対関係にあります。二人とも逆らうものはコミュ追放した人だし、どちらも見ているリスナーとしては(まあ、どっちかしか見ていない人のほうが少ないと思っているけど)身の振り方を考えさせられます。
ぬっきーにもシンジにも今までに5000円以上ドネートしている身としては、たまにしかコメントしないのでNGされるのはいいけど、コミュ追放されるのは嫌だなあと思います。


ぬっきーが復活した今の、自分の心境についてすごく気持ち悪い言い方をすると、『君が望む永遠』みたいな感じ(以下、一応ネタバレ注意)。プレイしたことないので大味ですが、あれって確かもともとの恋人が交通事故で意識不明になって長い間目覚めなくて、その間に主人公を支えてくれた新しい恋人が出来て……いい感じになったころにもともとの恋人の意識が戻る。三角関係。ってストーリーでしたっけ。

私にとって、この構図にもともとの人がぬっきー、新しい人がシンジが当てはまります。恋愛じゃないけど。どっちも面白いので選べない。ただ、ふわっちの花火やアマギフという形で感謝の意を示しているのであまり怒らないでほしいですね。昨日も配信でシンジはぬっきー勢をコミュ追放していたみたいですが…。
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配信者(生主)の引退と収益化の難しさ 「乞食」と言うコメントの是非とサブスクライブ(寄付)について

良いコンテンツやモノを作った人に対して、感謝の気持ちで寄付したり、作った側が寄付を求めることって、普通じゃないですか?


私は本格的にネット上の配信(今のところ主にニコ生)を見始めて3~4年くらいですが、何度かよく見ていた配信者(生主)が引退するということがありました。

とくに数年にわたる長い期間見ていた配信者が引退すると、居場所がまた一つ無くなったような寂しい気持ちになります。配信者の引退とは、そこで共有されている定番の流れとか、文化とか、歴史とかの散逸や、同じくずっと見続けるリスナーがもう集まれなくなることをも意味します。

私は配信者ではなく熱心なリスナーなので、その立場から書いていきます。
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書いている人
konoha
konohaTwitter [ブログ更新通知も]

 「満たされない人生に、ゲームでささやかな楽しみと癒しを」をテーマに発信しているブロガー。

 他には好きな本・音楽等とも全力で向き合う。ニコ生と某掲示板ばかり見ている病的な人物。
 息苦しい国だけど、マイペースに、人どうしの違いを大切に。

嫌いな言葉は「明るく」「協調性」「頑張る」。学校が嫌いだった。

その他、詳しいプロフィール


初めての方へ→多様なジャンルから、当ブログのおすすめ記事を29本厳選した。

note [毒々しい創作関連]もやってます。
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