影絵の木の葉 - フリーゲーム/RPG等のレビューと感想

 ゲーム/ニコ生評論家(自称)が文化的なことについて、熱っぽく本音で語っていきます。自分に嘘はつけない。

純文学・小説・読書

  • 感情をコントロールして楽に。"「怒り」がスーッと消える本"を読んで。相手の暴言は心の悲鳴。
  • あるいはパインアメの穴について、村上春樹風の文章で語っているのかもしれない。
  • (書評・感想)村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』と癒しの効果
  • 谷川俊太郎 二十億光年の孤独 を読みながら(感想)、自分も詩を書いていく:「灰色の小人たち」「朝の喫茶店」
  • (支援中)"東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作りたい!"(藤田直哉)を応援しています。私の震災と残された傷痕。【クラウドファンディング】

感情をコントロールして楽に。"「怒り」がスーッと消える本"を読んで。相手の暴言は心の悲鳴。

アドバイスの形をとった言葉の暴力、ゲームしてても自分の身にだけ降りかかる不運

ストレス社会、日本。こんがらがった人間関係や、複雑に絡み合って機能する言葉の刃、RPGでやたら外れる味方の攻撃、カードゲームで相手のドローが強すぎる。

(私は割と怒りっぽいですが、ゲームしてて怒ることだけはあまりないという変な特徴があります)

大丈夫、アンガーマネジメント(怒りの理解や管理、コントロール)という対処法があります。その中でも、色々試してとくに有効だった本をご紹介します。最近、イライラすることが多かったですが、だいぶすっきりしました。

もう、つまらないことでイライラしない。怒っている人は「困っている人」、うるさいアドバイスは「相手の悲鳴」、ケンカするのは「役割期待」がずれただけ。今すぐ心がほどけるヒント満載。「対人関係療法」専門の精神科医が贈る、「怒り」の取り扱い説明書。 (amazonより引用)





特に印象に残った部分について書いていきます。続きを読む

あるいはパインアメの穴について、村上春樹風の文章で語っているのかもしれない。

(パインアメをコンビニで見かけたので買って、ねじまき鳥クロニクル(書評・感想記事も書きました)を読んでいたらこんなのを書きたくなりました。)




僕はパインアメを舌の上で転がしていた。ざらついた表面から特有の甘味と酸味を感じた。僕と周りの状況がひどく混乱していた十年前。あのときのパインアメとそれは同じ味をしていた。そのことに僕は満足した。

「悪くない」と呟いた端から、言葉が虚空へと吸い込まれていくようだった。部屋に重い沈黙が下りた。やはり電話はかかってこなかった。まだ全ての問題が解決したわけではないのだ。あるいは、問題の解決が新たな問題を生むのかもしれないという気がした。絶望的に複雑な順序を要求する知恵の輪のように。

"甘酸っぱくてジューシー"、そうパッケージの袋に印字されていることが目に入った。このキャッチコピーは誰が考えたのだろう? それを考えたのは少なくとも羊男ではないだろう、と僕は思った。


今は耳を澄まし、ただ待とう。いざという時にダンスを踊れるように。ステップを踏みながら、前に進んでいくために。
あの時すでに、直子は損なわれてしまっていたのかもしれない。あるいは重要な何かを失って、変質してしまっていたのかもしれない。以前のような関係は築けないのだとしても、僕達はあの井戸を再び訪れなければならない。ギイイギイイイイ、ねじまき鳥が世界へと向かって鳴いた。

そのとき僕の口の中のパインアメが溶けて、やがて消えた。その穴の向こうには何が映っていたのだろう?


死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

あるいはパインアメの穴は、黄泉の国へと続いているのかもしれないと僕は思った。


その夜、僕は加納マルタの夢を見た。マルタはピンクのトレンチコートを着ていたが、その下には何もつけていないことが僕にはわかった。腕にはなぜかクミコの腕時計をしていた。電話のベルが鳴り響いている。しかし気に留めずに、マルタは僕の上にまたがってきた。豊かな陰毛の感触が肌を通じて伝わってきた。僕はマルタの中に入って、やがて果てた。非現実的な射精だった。


次の朝。僕は汚れた下着を洗濯かごへ入れ、シャワーを浴びた。ふと、昨晩口にしたパインアメのことを思い出した。その穴を通じて何らかの回路が開いたのかもしれない。あの非現実な射精は、パインアメの穴を通過することによって、あの珍しい苗字の女性の中に到達しているような気がした。もちろん、メタファーとしてのことだが。


(おわり)


あとがき

パイン株式会社さん、村上春樹さん、そして読者の方に先に謝罪しておきます。すみませんでした…。馬鹿にするような意図はなく、私はパインアメも村上文学も好きです。ねじまき鳥クロニクル(書評・感想記事も書きました)面白いし。

でも、ほんとにこんなアクロバティックなシーンが1Q84にあるんだよね…。




こちらもおすすめ

(書評・感想)村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』と癒しの効果

私が村上春樹を読んでいて一番感じることは、「癒される」ということだ。なので、その癒しの効果にフォーカスして今回は書いていこうと思う。

まず、村上自体の書評への態度もあるせいか、誰かの批評や感想を読んでみたいとはそれほど思っていない。昔は読んでたけどあまりピンとこないものが多かった。でも内田樹は良かったので、こういう紹介記事(内田樹 『もういちど村上春樹にご用心』 批評本。村上文学はなぜ世界中で読まれているのか?という問いに挑む ~トラウマとその癒しという観点から読んでみる~)も書いた。

春樹は小説の中でも、頭で考えたり解釈するよりも、もっと感覚的に受け取ることが重要な部類に入ると思う。これは音楽を聴くことに似ている。耳を澄ませて感じ取ることが心地良く、最大の効果があった。

今回の記事では、小説を読みながらその時々で感じたことを書き留めてみたいと思った。その理由はこうだ。
ドストエフスキーでも、マルシア・ガルケスでも村上春樹でもいいのだけど、作品が巨大・複雑であまりにも高度になってくると、読み終えた後振り返っても、「これはこういう物語だ」という自分なりの解釈もできなければ、感想を言語化することも難しいということがあるから。





第1部「泥棒かささぎ編」

冒頭から何かわからないけど不思議な効果を感じた。

第1部第3章「加納マルタの帽子、シャーベット・トーンとアレン・ギンズバーグと十字軍」(最初から80ページくらい)あたり、たぶんまだ物語のオープニングの段階で、事件はもう起きているのかもしれないけどさすがに何かが解決しているということはない、と思われる状況。奇妙な電話がかかってきたり、数人の女性と話をしたり、忘れ去られたような路地の裏に猫を探しに行ったりと。

しかしすでに読んでいる私には変化があった。過去とか、嫌な記憶とか、心に刺さったとげのようなものから痛みを感じなくなっていく。それらのものが相対化されていくというか、客観的に捉えられるようになっていくというか、距離を置いて俯瞰できるようになっていく感じ。食器に付いた油汚れが優秀な洗剤ではがれていくようなイメージ。

「急に何を言い出すんだ?」と誰もが思うかもしれないが、本当にそう感じている。錯覚だろうと何だろうと、実際にそうだから仕方がない。ただ描写を読んでいるだけで心地良い。
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谷川俊太郎 二十億光年の孤独 を読みながら(感想)、自分も詩を書いていく:「灰色の小人たち」「朝の喫茶店」

まえがきとしても - 谷川俊太郎『二十億光年の孤独』の紹介と感想

本屋で偶然見かけたことをきっかけに、谷川俊太郎『二十億光年の孤独』を少しずつ味わいながら読んでいます。ネット上なら谷川俊太郎/ポエトリージャパンで少し見られるようです。

谷川俊太郎は、十代の頃に書き溜めたこの詩集『二十億光年の孤独』で1952年にデビュー。解説によると、当時の詩壇(思想的な詩が中心だったらしい)に対して全く違ったタイプの詩を書く新人として現れました。
「二十億光年」という言葉にすでにあるように、とてもスケールの大きい視野で(宇宙に関する言葉も頻出)、戦後からの生活・社会・自然・人間・歴史などを見つめる詩を書いています。

私は彼の詩の、形而上の抽象的な言葉と具体的な言葉とを組み合わせ関連させる、その飛躍が面白いなと感じました(例: "時間に 雲が乗らない" 「梅雨」より、 "一瞬の運命論を 僕は梅の匂いにおきかえた" 「春」より)。
宇宙的な視野のせいか、感傷とか個人の感情というものが米粒みたいになるまで遠くから俯瞰されているようで、さらっとしながらもどこか物悲しい不思議な感触。私が読んだ集英社文庫の本には自筆のノートも収録されているのだけど、その字を見ると意外にまるっこくてかわいらしい字なのが印象に残った。

二十億光年の孤独 (集英社文庫)
谷川 俊太郎
集英社
2008-02-20



とくに気に入った二つの詩、「」「かなしみ」について引用しながら少し語っていきます。

かわいらしい郊外電車の沿線では
春以外は立入禁止である

「春」より

郊外電車の沿線が春の色に染められているという光景を、「春以外は立入禁止である」という言葉で表現するのがすごいな。たんぽぽの黄色い花とか、風の匂いとか、青い空とか、沿線はそういうものに満ちていて、そして立入禁止にされた「春以外」のものが、うらめしそうに遠くでこちらを見ていそうな気がする。


透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

「かなしみ」より

「過去」と「駅」という言葉を組み合わせるのが好きです。すごく象徴的で、精神世界において力を持っていそうな言葉。しかもそれが「透明」だと形容されている。そして「遺失物係」。何を失くしたのだろう。
係員はどんな人なんだろう。たぶん都会的な匿名性を持っていて深く関与してこないんだろうな。「透明な過去の駅」では人格を持った人間は、「僕」一人なのかな。孤独なんだけど、感傷的な孤独ではない。人とのかかわりの中で感じる孤独というより、広い世界に一人きりという感じ。

というわけで拙作も「灰色の小人たち」「朝の喫茶店」

この詩集を読みながら、自分でも詩を作ってみました。詩でも小説でもゲームでも、自分でも作ってみるとより深く味わえて良いと思います。おすすめの方法です。


灰色の小人たち

僕らは燃える生命力を封じ込んだ本を読む
灰色の小人たちは大声で騒ぎ立てる

僕らは沸騰する血を巡らせて肉体を鍛える
灰色の小人たちは大声で騒ぎ立てる

何をそんなに恐れているんだい
きっと置き去りにされるのを怖がる迷い子なんだろう


少年の日
木漏れ日と古びたカーテンの教室と埃のにおい
僕らはそこに何か忘れ物をした

あるいは あの木のしたの地中42kmに
まだそれは埋まったままなのかもしれない


今日という日
黒衣の追跡者が復讐を企てている 顔は見えない
あの人かもしれない 違うのかもしれない

何かが僕らを苛んでいる
暮らしの至る所で 食事中もニュースを見ている時も


もう誰でもいい どう思われても構わない
刺し殺してくれ お好みの声色と視線で

君が見ている僕は 君の心の中にしかいないから


完全な証明なんて誰にもできない
小学生じゃないんだからわかってよ
みんなその中で 少しでも前に進もうとしているんだよ
粗探しして 人の足を引っ張っているだけの君には粗がないのかい

幼き否認で積み木崩そうとしてんじゃねえ


自分だけは全部わかってる? 自分だけが演技して人を操ってる?
君だけが少しもわかってなくて 何も通用してなかったね
取り残された一人舞台の密室ピエロさん


だからそんなに怒りっぽくて 何度も何度も同意を求めて
そのたび裏切られて それでも承認を求めて裏切られて絶叫して

耳を塞いでいるから聴こえない
色眼鏡で見ているから歪んで見える
理解しようとしていないから理解できないんだよ

どんな仮面をかぶっても見え透いてんだよ
醜い本性と鉄のような頑なさが

たった一つの正解と、その他の多数の不正解で満たされた
君の世界の景色はどうだい? 自称・正義のヒーローさん?

とんだ茶番だ


「わたしの言う通りにしないと地獄に落ちる」

もう地獄に落ちてる人に 底の底から呼びかけられてもねえ

あの人はきっと、今日も苛々しながら大げさなため息をついているのだろう
一人きりの独房で



僕らは淡々と石を積む
誰かにに崩されるまで 賽の河原でも

あのころ何を求めていたのだろう、
迷い、混乱し、溺れて藁をもつかもうとして、鮮烈な期待と痛烈な落胆に苦しみながら…
それはきっと今も

思えば遠くまで来たもんだ


灰色の小人たちは大声で騒ぎ立てている
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(支援中)"東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作りたい!"(藤田直哉)を応援しています。私の震災と残された傷痕。【クラウドファンディング】

「傷」の言語化と共有の重要性

東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作りたい!(CAMPFIRE)

少額ですが、支援させていただきました。
募集終了までは、あと3日です。最低額(3000円)でも、集まった作品を読み、感想をフィードバックするための特設サイトにアクセスできるようになりますよ。コンビニ払いも可。

クラウドファンディングというのは、簡単に説明すると、ネットを介して不特定多数の人間から資金提供を募ることです。

ところで、私は「見た目がいいこと」や「偽善っぽいこと」が嫌いだ。もちろん、今回の試みやその他のたくさんの方の善意、行動、支援等を非難するつもりはまったくなく、「見た目」だけで本質が伴っていないことが嫌いだという意味だ。
そんな私が、「社会的にいいこと」に対しての自らのコミットメントをアピールするようなこの記事をなぜ書こうと思ったのか(どんな形でも、一円でも多くの資金が集まればいいと思うけど)、お時間のある方は少し聞いてほしい。このクラウドファンディングは、私にとって他人事だと思えなかったのだ。

支援に込めた想い - 私の震災と残された傷痕

東日本大震災のあの日、出不精な私にはかなり珍しく海外にいた。

なので、あの揺れやその直後の混乱については、ニュースで伝え聞くだけで、リアルな感覚を共有していない。
英語のニュース番組で、earthquakeがJapanで起きた、ということを目にしても、どこか信じられないというか、大きな災害が起きたということの現実感に乏しかった。私の頭の中は、慣れない海外の観察と行動で埋め尽くされていた。

こういう経緯もあってか、帰国しても震災はどこか遠くの世界で起きた出来事のような感じがしていた。ではなぜ、今回のクラウドファンディングに身銭を切って支援しようと思ったのか。(私はどちらかと言えば貧乏なほうなので、少額とはいえ自分にとっては大きいことだ。)

それは、衝撃的な出来事の経験・思考・感情を文学として共有することが大切だと思っているからだ。


震災はたくさんの方々の肉体と精神、生活と人生に傷を残した。その「傷」が私にとって他人事には思えなかった。
私もとある過去の出来事によって深い傷を負った。今もまだ苛まれている。その傷の癒しにおいて、文学や音楽などの芸術の力が占めた割合はとても大きい。

幸運にも他者からの豊かな支援を受けられたらいいが、そうではない場合も世界には厳然として存在する。ちょうど私のように。

文学を始めとする創作は、人類の共有財産だ。そこにアクセスすることは、他の手段で回復を試みるよりはずっと容易に始められる。しかも大きな効果が見込まれる。


まだまだ、苦しんでいる方がたくさんいるのだろう。原発の事故もあったせいか偏見もあり、最近でもそれが原因で子どもがいじめの被害にあったというニュースも聞く。あまりにも悲しい。
あれ、問題を解決すべき立場の教師が主体的にかかわっていたんだっけ。近頃、そういうの多いね。みんな病んでいるのかな。それとも太古の昔から繰り返されてきたことなのか。職業や立場の前に、みんな人間だということなのか。


技術的には洗練されていないし、高度でもない。しかし、そこに描き出されている出来事、感情、思考には、私を突き動かす何かがある。〈リアル〉の手触りとしか言いようがないものがある。(藤田氏のコメントより引用)

本ブログはフリーゲームを専門的に扱っておりますが、こういうの好きです。共通点を感じます。あるいは、おすすめの名作・傑作けいおんSS 10選とその感想まとめ 【鬱・切ない系多め】のようなものとも。けいおんというアニメの二次創作SSは、震災とはほぼ関係ありませんが、たくさんの「傷」の言語化と共有という点では共通していると思います。あるいは、ネット上の掲示板等にもそんな匂いを私は感じ取っています。あまり何でも一緒くたにしないほうがいいのかもしれませんが。

簡単には言葉にならないような複雑なこと、人に言ってもどうせ伝わらないと思って口にするのをためらってしまうようなこと。とても孤立していて孤独ではあるけれども、決して消えてはならないような言葉が、きっとあるはずだと思うんです。


東日本大震災を経験した人たちの「言葉」を集める――新しい文芸誌の創刊に向けて 文芸評論家、藤田直哉氏インタビューより引用。とても共感し、重要だと感じました。


それでは、東日本大震災を経験した人の言葉を集めた文芸誌を作りたい!(CAMPFIRE)という、体験の言語化と共有の試み、期待しております。集まった作品が読めることも楽しみです。


東日本大震災後文学論
限界研
南雲堂
2017-03-10

藤田氏の編著。


ご著書。
書いている人
konoha
konohaTwitter

 この世は生き地獄。争いが果てぬ阿修羅の世界。創作の光だけが救いだ。

 ネットの暗部ばかり見ている病的な人間です。不条理で悪がはびこる世界と社会に対して強い憎しみを抱いています。

 好きなものは、ゲーム全般、ハースストーン、ニコ生、格ゲー界隈の配信、syrup16g、村上春樹、ユング心理学。

学校が嫌いだった。「明るく」「協調」「頑張る」吐き気がする。
その他、詳しいプロフィール

note(創作関連)より、
「オフィスに転がった万全な死体」
『偽りの注射と、廊下の残像』
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