影絵の木の葉 - フリーゲーム/RPG等のレビューと感想

 ゲーム評論家(自称)がゲーム全般・フリーゲーム・音楽・文学などについて、熱っぽく本音で語っていきます。自分に嘘はつけない。

純文学・小説・読書

  • 三島由紀夫の代表作『仮面の告白』『金閣寺』に、誰にも話したことのない自分の感覚が書いてあった。
  • 【書評/実践】イライラにおすすめ。水島広子 "「怒り」がスーッと消える本"
  • あるいはパインアメの穴について、村上春樹風の文章で語っているのかもしれない。
  • (書評・感想)村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』と癒しの効果
  • 谷川俊太郎 二十億光年の孤独 を読みながら(感想)、自分も詩を書いていく:「灰色の小人たち」「朝の喫茶店」

三島由紀夫の代表作『仮面の告白』『金閣寺』に、誰にも話したことのない自分の感覚が書いてあった。

言葉にならない想いが、美しく克明な日本語で。なんか安心した。

この記事では、三島由紀夫の『仮面の告白』『金閣寺』について熱く語ります。まだ読んでない方も、もう読んだ方にも。
とくに『仮面の告白』について、作中の文章を引用しながら、彼の文章がいかに優れているかということに注目して語っています。そして、夏目漱石太宰治との比較も行っています。作家や作品のガイド的にも読めます。


私が三島由紀夫を初めて読んだとき、今まで自分の中で好きな作家ランキングを考えると村上春樹が一番で、その他には、中島敦や太宰治がランクインしてくるのですが、その争いの中に三島由紀夫が突如として食い込んできたような気持ちになりました。

関連:【おすすめ・解説】中島敦「悟浄出世」「悟浄歎異」(わが西遊記) - 多様過ぎる考えの中で身動きできない現代人へ

三島の文章の言葉遣い自体はやや難しめですがその分内容は濃いし、時代背景を知らないと読みにくいということは全然ありません。むしろ読みやすい。

初めて読んだ三島由紀夫の作品は、『金閣寺』だった

私は初めて読んだ作品が『金閣寺』だったのですが、かなり序盤の(30ページくらい)、有為子という女性を待ち伏せするシーンですでに天才だと思った。自分に合う小説だと感じた。

『金閣寺』とは?

一九五〇年七月一日、「国宝・金閣寺焼失。放火犯人は寺の青年僧」という衝撃のニュースが世人の耳目を驚かせた。この事件の陰に潜められた若い学僧の悩み――ハンディを背負った宿命の子の、生への消しがたい呪いと、それゆえに金閣の美の魔力に魂を奪われ、ついには幻想と心中するにいたった悲劇……。31歳の鬼才三島が全青春の決算として告白体の名文に綴った不朽の金字塔。
金閣寺 (新潮文庫) [文庫]より引用)

内面の描写がすごく詳細で濃密で、自分も感じていたし他の多くの繊細な人たちも感じているだろうけど、うまく言語化されていなかったり、共有されていなかったりすることを鋭く描き出していて。これは『金閣寺』もそうだけど、『仮面の告白』にも顕著だった。同性愛的な意味ではなく。

文章表現が凄まじい。他のどの小説でも見たことない。名言多数。

そして、文章の表現力が凄まじくて。美しくて。こんな風によくも表現できるものだなと何度も思わされた。上述の『金閣寺』だと、お寺の匂いまでもが漂ってきそうだった。

例を挙げると、『仮面の告白』の、「主人公にとって色んな意味で気になっている女性との会話のシーン」より引用。

それから私たちは二言三言手持無沙汰な会話をした。私は全力をあげて快活であろうとし、全力をあげて機智ゆたかな青年であろうとした。しかもそういう私を私は憎んだ。
(p.134、新潮文庫、仮面の告白、三島由紀夫より引用)

これ超わかるんだけど。気になる異性にアピールするために、「全力をあげて快活・機智ゆたかであろうと」する。しかもそんな風に振る舞っている自分を「私は憎んだ」。

他人にアピールするためにいつもと違うような振る舞いをしてしまうんだけど、そういう自分の嫌らしさが憎くなる。気持ち悪いと感じる。超わかるし、1949年の小説にも同じことが書いてあると、なんか安心するというか、落ち着くような気持ちになる。

さらに例を挙げると、「主人公が14歳か15歳の頃に、20歳くらいの又従妹の姉ちゃんが主人公の太ももの上に頭をのせてきたシーン」です。

それっきりである。とはいえ自分の腿の上にしばし存在した贅沢な重みをいつまでも私はおぼえていた。肉感ではなく、何かただきわめて贅沢な喜びだった。勲章の重みに似たものだった。
(p.106、同上)

この「勲章の重みにも似たものだった」という表現がすごいなと思った。

その「重み」は、誰も彼もがいつでも感じられるありふれた重みではなく、自分と相手の関係が必要な重みであり、それを「勲章の重み」に似ているという言葉で表現するのがすごくいいと思った。続きを読む

【書評/実践】イライラにおすすめ。水島広子 "「怒り」がスーッと消える本"

相手の暴言は心の悲鳴。

ストレス社会、日本。こんがらがった人間関係や、複雑に絡み合って機能する言葉の刃、果てはゲームしてても不運にイラつく。

(私は割と怒りっぽいですが、ゲームしてて怒ることだけはあまりないという変な特徴があります)

大丈夫、アンガーマネジメント(怒りの理解や管理、コントロール)という対処法があります。その中でも、色々試してとくに有効だった本をご紹介します。最近、イライラすることが多かったですが、だいぶすっきりしました。

もう、つまらないことでイライラしない。怒っている人は「困っている人」、うるさいアドバイスは「相手の悲鳴」、ケンカするのは「役割期待」がずれただけ。今すぐ心がほどけるヒント満載。「対人関係療法」専門の精神科医が贈る、「怒り」の取り扱い説明書。 (amazonより引用)





特に印象に残った部分について書いていきます。続きを読む

あるいはパインアメの穴について、村上春樹風の文章で語っているのかもしれない。

(パインアメをコンビニで見かけたので買って、ねじまき鳥クロニクル(書評・感想記事も書きました)を読んでいたらこんなのを書きたくなりました。)




僕はパインアメを舌の上で転がしていた。ざらついた表面から特有の甘味と酸味を感じた。僕と周りの状況がひどく混乱していた十年前。あのときのパインアメとそれは同じ味をしていた。そのことに僕は満足した。

「悪くない」と呟いた端から、言葉が虚空へと吸い込まれていくようだった。部屋に重い沈黙が下りた。やはり電話はかかってこなかった。まだ全ての問題が解決したわけではないのだ。あるいは、問題の解決が新たな問題を生むのかもしれないという気がした。絶望的に複雑な順序を要求する知恵の輪のように。

"甘酸っぱくてジューシー"、そうパッケージの袋に印字されていることが目に入った。このキャッチコピーは誰が考えたのだろう? それを考えたのは少なくとも羊男ではないだろう、と僕は思った。


今は耳を澄まし、ただ待とう。いざという時にダンスを踊れるように。ステップを踏みながら、前に進んでいくために。
あの時すでに、直子は損なわれてしまっていたのかもしれない。あるいは重要な何かを失って、変質してしまっていたのかもしれない。以前のような関係は築けないのだとしても、僕達はあの井戸を再び訪れなければならない。ギイイギイイイイ、ねじまき鳥が世界へと向かって鳴いた。

そのとき僕の口の中のパインアメが溶けて、やがて消えた。その穴の向こうには何が映っていたのだろう?


死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

あるいはパインアメの穴は、黄泉の国へと続いているのかもしれないと僕は思った。


その夜、僕は加納マルタの夢を見た。マルタはピンクのトレンチコートを着ていたが、その下には何もつけていないことが僕にはわかった。腕にはなぜかクミコの腕時計をしていた。電話のベルが鳴り響いている。しかし気に留めずに、マルタは僕の上にまたがってきた。豊かな陰毛の感触が肌を通じて伝わってきた。僕はマルタの中に入って、やがて果てた。非現実的な射精だった。


次の朝。僕は汚れた下着を洗濯かごへ入れ、シャワーを浴びた。ふと、昨晩口にしたパインアメのことを思い出した。その穴を通じて何らかの回路が開いたのかもしれない。あの非現実な射精は、パインアメの穴を通過することによって、あの珍しい苗字の女性の中に到達しているような気がした。もちろん、メタファーとしてのことだが。


(おわり)


あとがき

パイン株式会社さん、村上春樹さん、そして読者の方に先に謝罪しておきます。すみませんでした…。馬鹿にするような意図はなく、私はパインアメも村上文学も好きです。ねじまき鳥クロニクル(書評・感想記事も書きました)面白いし。

でも、ほんとにこんなアクロバティックなシーンが1Q84にあるんだよね…。




こちらもおすすめ

(書評・感想)村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』と癒しの効果

私が村上春樹を読んでいて一番感じることは、「癒される」ということだ。なので、その癒しの効果にフォーカスして今回は書いていこうと思う。

まず、村上自体の書評への態度もあるせいか、誰かの批評や感想を読んでみたいとはそれほど思っていない。昔は読んでたけどあまりピンとこないものが多かった。でも内田樹は良かったので、こういう紹介記事(内田樹 『もういちど村上春樹にご用心』 批評本。村上文学はなぜ世界中で読まれているのか?という問いに挑む ~トラウマとその癒しという観点から読んでみる~)も書いた。

春樹は小説の中でも、頭で考えたり解釈するよりも、もっと感覚的に受け取ることが重要な部類に入ると思う。これは音楽を聴くことに似ている。耳を澄ませて感じ取ることが心地良く、最大の効果があった。

今回の記事では、小説を読みながらその時々で感じたことを書き留めてみたいと思った。その理由はこうだ。
ドストエフスキーでも、マルシア・ガルケスでも村上春樹でもいいのだけど、作品が巨大・複雑であまりにも高度になってくると、読み終えた後振り返っても、「これはこういう物語だ」という自分なりの解釈もできなければ、感想を言語化することも難しいということがあるから。





第1部「泥棒かささぎ編」

冒頭から何かわからないけど不思議な効果を感じた。

第1部第3章「加納マルタの帽子、シャーベット・トーンとアレン・ギンズバーグと十字軍」(最初から80ページくらい)あたり、たぶんまだ物語のオープニングの段階で、事件はもう起きているのかもしれないけどさすがに何かが解決しているということはない、と思われる状況。奇妙な電話がかかってきたり、数人の女性と話をしたり、忘れ去られたような路地の裏に猫を探しに行ったりと。

しかしすでに読んでいる私には変化があった。過去とか、嫌な記憶とか、心に刺さったとげのようなものから痛みを感じなくなっていく。それらのものが相対化されていくというか、客観的に捉えられるようになっていくというか、距離を置いて俯瞰できるようになっていく感じ。食器に付いた油汚れが優秀な洗剤ではがれていくようなイメージ。

「急に何を言い出すんだ?」と誰もが思うかもしれないが、本当にそう感じている。錯覚だろうと何だろうと、実際にそうだから仕方がない。ただ描写を読んでいるだけで心地良い。
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谷川俊太郎 二十億光年の孤独 を読みながら(感想)、自分も詩を書いていく:「灰色の小人たち」「朝の喫茶店」

まえがきとしても - 谷川俊太郎『二十億光年の孤独』の紹介と感想

本屋で偶然見かけたことをきっかけに、谷川俊太郎『二十億光年の孤独』を少しずつ味わいながら読んでいます。ネット上なら谷川俊太郎/ポエトリージャパンで少し見られるようです。

谷川俊太郎は、十代の頃に書き溜めたこの詩集『二十億光年の孤独』で1952年にデビュー。解説によると、当時の詩壇(思想的な詩が中心だったらしい)に対して全く違ったタイプの詩を書く新人として現れました。
「二十億光年」という言葉にすでにあるように、とてもスケールの大きい視野で(宇宙に関する言葉も頻出)、戦後からの生活・社会・自然・人間・歴史などを見つめる詩を書いています。

私は彼の詩の、形而上の抽象的な言葉と具体的な言葉とを組み合わせ関連させる、その飛躍が面白いなと感じました(例: "時間に 雲が乗らない" 「梅雨」より、 "一瞬の運命論を 僕は梅の匂いにおきかえた" 「春」より)。
宇宙的な視野のせいか、感傷とか個人の感情というものが米粒みたいになるまで遠くから俯瞰されているようで、さらっとしながらもどこか物悲しい不思議な感触。私が読んだ集英社文庫の本には自筆のノートも収録されているのだけど、その字を見ると意外にまるっこくてかわいらしい字なのが印象に残った。

二十億光年の孤独 (集英社文庫)
谷川 俊太郎
集英社
2008-02-20



とくに気に入った二つの詩、「」「かなしみ」について引用しながら少し語っていきます。

かわいらしい郊外電車の沿線では
春以外は立入禁止である

「春」より

郊外電車の沿線が春の色に染められているという光景を、「春以外は立入禁止である」という言葉で表現するのがすごいな。たんぽぽの黄色い花とか、風の匂いとか、青い空とか、沿線はそういうものに満ちていて、そして立入禁止にされた「春以外」のものが、うらめしそうに遠くでこちらを見ていそうな気がする。


透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった

「かなしみ」より

「過去」と「駅」という言葉を組み合わせるのが好きです。すごく象徴的で、精神世界において力を持っていそうな言葉。しかもそれが「透明」だと形容されている。そして「遺失物係」。何を失くしたのだろう。
係員はどんな人なんだろう。たぶん都会的な匿名性を持っていて深く関与してこないんだろうな。「透明な過去の駅」では人格を持った人間は、「僕」一人なのかな。孤独なんだけど、感傷的な孤独ではない。人とのかかわりの中で感じる孤独というより、広い世界に一人きりという感じ。

というわけで拙作も「灰色の小人たち」「朝の喫茶店」

この詩集を読みながら、自分でも詩を作ってみました。詩でも小説でもゲームでも、自分でも作ってみるとより深く味わえて良いと思います。おすすめの方法です。


灰色の小人たち

僕らは燃える生命力を封じ込んだ本を読む
灰色の小人たちは大声で騒ぎ立てる

僕らは沸騰する血を巡らせて肉体を鍛える
灰色の小人たちは大声で騒ぎ立てる

何をそんなに恐れているんだい
きっと置き去りにされるのを怖がる迷い子なんだろう


少年の日
木漏れ日と古びたカーテンの教室と埃のにおい
僕らはそこに何か忘れ物をした

あるいは あの木のしたの地中42kmに
まだそれは埋まったままなのかもしれない


今日という日
黒衣の追跡者が復讐を企てている 顔は見えない
あの人かもしれない 違うのかもしれない

何かが僕らを苛んでいる
暮らしの至る所で 食事中もニュースを見ている時も


もう誰でもいい どう思われても構わない
刺し殺してくれ お好みの声色と視線で

君が見ている僕は 君の心の中にしかいないから


完全な証明なんて誰にもできない
小学生じゃないんだからわかってよ
みんなその中で 少しでも前に進もうとしているんだよ
粗探しして 人の足を引っ張っているだけの君には粗がないのかい

幼き否認で積み木崩そうとしてんじゃねえ


自分だけは全部わかってる? 自分だけが演技して人を操ってる?
君だけが少しもわかってなくて 何も通用してなかったね
取り残された一人舞台の密室ピエロさん


だからそんなに怒りっぽくて 何度も何度も同意を求めて
そのたび裏切られて それでも承認を求めて裏切られて絶叫して

耳を塞いでいるから聴こえない
色眼鏡で見ているから歪んで見える
理解しようとしていないから理解できないんだよ

どんな仮面をかぶっても見え透いてんだよ
醜い本性と鉄のような頑なさが

たった一つの正解と、その他の多数の不正解で満たされた
君の世界の景色はどうだい? 自称・正義のヒーローさん?

とんだ茶番だ


「わたしの言う通りにしないと地獄に落ちる」

もう地獄に落ちてる人に 底の底から呼びかけられてもねえ

あの人はきっと、今日も苛々しながら大げさなため息をついているのだろう
一人きりの独房で



僕らは淡々と石を積む
誰かにに崩されるまで 賽の河原でも

あのころ何を求めていたのだろう、
迷い、混乱し、溺れて藁をもつかもうとして、鮮烈な期待と痛烈な落胆に苦しみながら…
それはきっと今も

思えば遠くまで来たもんだ


灰色の小人たちは大声で騒ぎ立てている
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konoha
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 「満たされない人生に、ゲームでささやかな楽しみと癒しを」をテーマに発信しているブロガー。

 他には好きな本・音楽等とも全力で向き合う。ニコ生と某掲示板ばかり見ている病的な人物。
 息苦しい国だけど、マイペースに、人どうしの違いを大切に。

嫌いな言葉は「明るく」「協調性」「頑張る」。学校が嫌いだった。

その他、詳しいプロフィール


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