ぬっきーさんの「最後の枠」は、引退詐欺で配信復帰宣言となりました。

ぬっきーは 生放送 やめ へん で~

ドッキリ大成功

ということみたいです。

私としては素直にうれしいです。その次の日(4月10日)の夜の枠も雰囲気良くて面白かったし。
思えば、私がニコ生を本格的に見始めたきっかけがぬっきーでした(このあたりのことや引退配信前夜のことは、【ニコ生】引退?復活?ぬっきーを6つの動画で改めて振り返るの後半に書いてある)。ニコ生を見る前は厨ポケ狩り講座のもこうを見てました。


ぬっきーを見始めた(=ニコ生を見始めた)ころは、他の配信者はほとんど見ていませんでした。当時のぬっきーの配信量がすごかったので、TSを消化しているとなかなか他の配信者を見る余裕がなかったということもあります。




しばらくたって、ウル4繋がりでフェンリルの配信も見るようになりました。初めて彼の配信を見たときは「なにこのサイコパスみたいな人?」と思っていました。なんだかんだでよく見る配信の一つになっていきました。今の配信もLOLはやったことないし、見ていても一向に内容が理解できないけど割と見ています。フェンリルという人間自体が面白く魅力的です。


ドラクエ繋がりでいつの間にかシンジの配信も見るようになりました。初めて見たとき彼は、「お前ら、恋してますか?」と何回もリスナーに問いかけていたりして、「なにこの人?出会い厨なの?」と思っていました。しかもなんか恋に破れたらしく顔出しで号泣し始めるし(今思えばSさんの件だったのかな?)。
しかし、ぬっきーが約8か月の長期休止に入る少し前くらいから、配信を見る優先順位がぬっきーを越えて自分の中でシンジがトップになりました。どんどん彼の放送の面白さに気付いていきました。今では私もふわっちで花火を打ち上げています。




ところで、ぬっきーとシンジは、語弊を恐れずに言うと敵対関係にあります。二人とも逆らうものはコミュ追放した人だし、どちらも見ているリスナーとしては(まあ、どっちかしか見ていない人のほうが少ないと思っているけど)身の振り方を考えさせられます。
ぬっきーにもシンジにも今までに5000円以上ドネートしている身としては、たまにしかコメントしないのでNGされるのはいいけど、コミュ追放されるのは嫌だなあと思います。


ぬっきーが復活した今の、自分の心境についてすごく気持ち悪い言い方をすると、『君が望む永遠』みたいな感じ(以下、一応ネタバレ注意)。プレイしたことないので大味ですが、あれって確かもともとの恋人が交通事故で意識不明になって長い間目覚めなくて、その間に主人公を支えてくれた新しい恋人が出来て……いい感じになったころにもともとの恋人の意識が戻る。三角関係。ってストーリーでしたっけ。

私にとって、この構図にもともとの人がぬっきー、新しい人がシンジが当てはまります。恋愛じゃないけど。どっちも面白いので選べない。ただ、ふわっちの花火やアマギフという形で感謝の意を示しているのであまり怒らないでほしいですね。昨日も配信でシンジはぬっきー勢をコミュ追放していたみたいですが…。


ニコ生は攻撃的に、ゴシップ的に語られることが多いですが、ここでは少し真面目な話をします。

私にとって、ぬっきーを見ているとまるで自分を見ているみたいだ。理屈を重んじるところとか、多くの「普通」の人が信じている「常識」がひどく疑わしいものに見えているところとか。私の得意分野は心理学・哲学・文学なので、政治や経済のことはほとんどわかりませんが。
復帰配信で話題になったドラッカーは私も昔がんばって読み通しましたが、ぶっちゃけ内容がほとんど理解できませんでした。今も本棚にありますが、二度と読むことはないでしょう。
ピケティも読んでいません。分野が変わってドーキンスは直接の著作を読んだことはないですが、別の本で触れている箇所をほんの少しだけ読んだことがあります。

マネジメント[エッセンシャル版] - 基本と原則
ピーター・F・ドラッカー
ダイヤモンド社
2001-12-14



一方、シンジは私にとって、自分が持っていないものを持っている人という感じ。破天荒なところとか、自分の気持ちに正直なところとか。彼の配信を見ていると、自分もこんな風になりたい、なれないけど、と思う。
シンジは何やらせてもいちいち面白いんだよ。瞬間的に「こうすれば面白くなる」というインスピレーションが走っているように見える。対照的に、ぬっきーはいったん対象と距離を置いて、全体を俯瞰して思考してから判断しているように見える。どちらが優れているということではなく、それぞれの個性だ。右脳と左脳という捉え方もできるかもしれない。

シンジは「人格芸」といわれるくらい、意見がころころ変わる。それも5分おきくらいに正反対のことを言い始める。私の中の解釈では、彼は思考がブレインストーミング的というか、その時々で頭に浮かんでいることを割と率直に口にしているように見える。多くの人は「うーん、それについては~」とか「難しいけど、個人的には~」みたいな前置きの発言をしている最中に思考をまとめている。シンジはそういう前置きをあまりせず、思考のプロセス自体を公開していて、それが「人格芸」と呼ばれているのだと私は思っている。
つまり、多くの人は「葛藤していること」を自分の状態を俯瞰して発言するけど、シンジは「葛藤」そのものを垂れ流して発言しているように見える。「俺、仕事やめる」と言ったり、その5分後に「やっぱ仕事やめねえわ」と言ったりとね。同じ内容の会話が繰り返されるところとかもね。


ネットや今の日本では、個性的なものはとりあえず総叩きにあって、工場生産された無個性なアンドロイドへと矯正しようとされる(ちょうど今は四月なので、よくニュースで報じられる「同じ髪型・同じスーツの着こなし・同じメイクの新入社員」の写真を思い起こしてほしい。ただ、あれは会社がそういう人たちを選んで採用し、そういう見えない圧力を生じさせていたということなので、新入社員を叩くのはお門違いだ)。
しかし、個性的なことは本来素晴らしいこと。今という時代はそういう「個」的なもの、人間的な感触のようなものにひどく飢えている一方で、同時にそういうものに対する病的な忌避が共存しているように見える。どこまでも絶望的にもつれているイヤホンのコードの様。誰かほどいてくれ。ほどき方を誰か知らないのか。

本当に「無個性なアンドロイド」になったり、自分を隠したまま墓まで行くくらいなら、気持ち悪がられたり笑い者になっているほうがずっといい。対外的に幸福に見せかけた他人の人生を演じるよりは、自分の不幸な人生を生きるほうがずっといい。



以上、自称・ニコ生評論家が色々と語ってきたけど。

ぬっきーとシンジ。どちらも甲乙つけがたく面白い。


これが今の私の本音だ。
ドラクエ界隈以外も見ているけど、この二人こそがニコ生のゲーム配信のツートップだと思う。
  
この記事を書いた人

konoha  konohaTwitter [ブログの更新通知も]note [毒々しい創作関連]

 「満たされない人生に、ゲームでささやかな楽しみと癒しを」をテーマに発信しているブロガー。他には好きな本・音楽とも全力で向き合う。ニコ生と某掲示板ばかり見ている病的な人物。息苦しい国だけどマイペースに、人どうしの違いを大切に。 嫌いな言葉は「明るく」「協調性」「頑張る」。学校が嫌いだった。 その他、詳しいプロフィール