中島敦 悟浄出世

中島敦 悟浄歎異

中島敦(1909-42)といえば、教科書にも載っている『山月記』が有名ですが、私はこの『わが西遊記』と呼ばれる連作の「悟浄出世」「悟浄歎異」が一番好きです。中島敦が「僕のファウストにする」という意気込みをこめたらしいですね。
悟浄が、他人にけなされようが自分をさらけ出して教えを乞い、先へ進もうという決心をするあたりとか『山月記』との共通点も少し感じました。

この連作は、あまりにも多くの思想の中で自分がどう生きればいいのかわからなくなっている妖怪の悟浄を主人公とした作品で、情報過多で、すぐ批判が飛んでくるから行動がしにくいという現代人にとても通ずるものがあります。

私も紙の本で以前に読んで、一番印象に残っていて、まるで自分の話をされているかのようで、しかも解決策まで示してくれている重要な小説だと感じました。

そして今回再読したのですが、自然と前に読んだ時の自分と今の自分を比較していました。そうすると、やはりこの小説で描かれているように、「神のみぞ知る的な思索」はいったん横において、今と言う瞬間に夢中になって行動することは大切で、この小説から示唆を受けて生きてきて良かったと思います。

そのころ流沙河の河底に栖んでおった妖怪の総数およそ一万三千、なかで、渠(かれ)ばかり心弱きはなかった。
(中略)
また彼らは渠(かれ)に綽名して、独言悟浄と呼んだ。渠が常に、自己に不安を感じ、身を切刻む後悔に苛まれ、心の中で反芻されるその哀しい自己苛責が、つい独り言となって洩れるがゆえである。遠方から見ると小さな泡が渠の口から出ているにすぎないようなときでも、実は彼が微かな声で呟いているのである。「俺はばかだ」とか、「どうして俺はこうなんだろう」とか、「もうだめだ。俺は」とか、ときとして「俺は堕天使だ」とか。

(中島敦「悟浄出世」青空文庫より引用。以下の引用も同様)

主人公の悟浄はこういう人となり。妖怪でありながら、妙に親近感が持てる。自虐的で、今のネットにもこういう人よくいそう。あるいは、自分と似たような人を見つけて、その人に対して「お前はばかだ」という発言の形で現れることもありそうですね。


以前に読んだとき青年の私は、世界をもっとよく知りたくて、あるいは自分の進むべき道を見つけるべく、色んな哲学・心理学・文学などの本を大量に読み漁っていましたが、一向に答えは出ませんでした。そんなとき出会ったのが本作でした。悟浄の妖怪たちを訪ね歩く旅が、自分がいまやっていることと酷似しているように感じられました。

「我々のしうるのは、ただ神を愛しおのれを憎むことだけだ。部分は、みずからを、独立した本体だと自惚うぬぼれてはならぬ。あくまで、全体の意志をもって己の意志とし、全体のためにのみ、自己を生きよ。神に合するものは一つの霊となるのだ」
 確かにこれはきよすぐれた魂の声だ、と悟浄は思い、しかし、それにもかかわらず、自分の今えているものが、このような神の声でないことをも、また、感ぜずにはいられなかった。訓言おしえは薬のようなもので、※(「やまいだれ+亥」、第3水準1-88-46)おこりを病む者の前に※(「やまいだれ+重」、第4水準2-81-58)はれものの薬をすすめられてもしかたがない、と、そのようなことも思うた。

ほんと、こんな感じ。こういうことを聞いても、今日自分がする現実的な行動には結びついていきません。

隣人愛の教説者として有名な無腸公子むちょうこうし講筵こうえんに列したときは、説教半ばにしてこの聖僧が突然えに駆られて、自分の実の子(もっとも彼はかに妖精ようせいゆえ、一度に無数の子供を卵からかえすのだが)を二、三人、むしゃむしゃべてしまったのを見て、仰天ぎょうてんした。
 慈悲忍辱じひにんにくを説く聖者が、今、衆人環視の中で自分の子を捕えて食った。そして、食い終わってから、その事実をも忘れたるがごとくに、ふたたび慈悲の説を述べはじめた。忘れたのではなくて、先刻の飢えをたすための行為は、てんで彼の意識に上っていなかったに相違ない。ここにこそおれの学ぶべきところがあるのかもしれないぞ、と、悟浄ごじょうへん理窟りくつをつけて考えた。俺の生活のどこに、ああした本能的な没我的な瞬間があるか。

あるいは、こんな感じ。周りの人と話をして聞いてみても、自分には実行不可能だったり、欠点をごまかしていたりして、誰も彼もが不完全で不十分だと感じていました。なぜ彼らが生きていられるのか、疑問を持たないのかということが本気で不思議でした。

今思えば、間違っていようが悪かろうが、実際に実行可能なことは実行可能で生きていける。完璧である必要はない。誰もが不完全。そして今という瞬間に本気になって行動して、成長していくと現実的に満足するということが実感として理解できていなかったんだなと振り返ります。

こういう作中の「今という瞬間への没入」「善悪の相対性」というのは、いかにも仏教的だなと感じます。作中でも最終的に玄奘法師(三蔵法師)に出会い、人間になってともに旅をしていくわけですしね。


そして、「悟浄歎異」へと繋がっていくのですが、ここで多く語られるのは悟空の獣のような生命力に満ち溢れた生き方。悟浄は(自分と対比して)「実行の天才」と評しています。冷笑的な批評や批判、否定に満ちた現代の中で、人間としての基本に立ち返らせてくれるように感じました。
そして戦闘シーンも迫力があってかっこいい。中島敦ならこんな風に書くのかと思わされます。

中島敦がもう少し生きながらえていれば、さらなる続編が発表されていたのかもしれませんが、『わが西遊記』シリーズはこの二作しか存在していません。


中島敦 (ちくま日本文学 12)
中島 敦
筑摩書房
2008-03-10


記事冒頭のリンクから青空文庫で無料で読めますが、私は今回この紙の本で読みました。「悟浄出世」「悟浄歎異」「山月記」のほか、短編を中心に19作が含まれていて、中島敦の主要な作品のほとんどが押さえられています。漢文っぽい感じの作品が多い。以前に全部読んだけど、時間をおいてもう一度読みたくなるような作品がたくさんあった。

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