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毒のある本音の、面白い文章を書きたい。前に進んでいきたい。

ここまで急成長とは言えないものの右肩上がりでアクセスアップしてきた本ブログでしたが、2月のアクセス数は横ばいでした。これが世界の選択か……!(中二)

なので一度、最近の活動を振り返りたいと思います。
個人的なブログの話題だけでなく、ちゃんと匿名掲示板やニコニコ生放送(ニコ生)の話題も登場するのでご安心を。タイトル詐欺ではありません。

現在、一日110~120人くらいの方が本ブログを読んでくれています。ありがたいことに、継続的に読んでくれているリピーターの方も100人前後はいるようです。
これからも、万人受けはしないものの、ある特定の層にとって重要で、かつ大手が扱わない・扱いにくい色々な話題を扱っていきたいと思っています。常に攻めの姿勢で、チャレンジャーでありたい。実際まだまだ弱小だし。


書く以上は、色んな人に読んでもらいたいし、それを面白いと思ってもらいたい。
これは自然な感情ではないだろうか。
ブログに限らず、小説でも、ゲームでもなんでも。

でも、誰かに媚びたりするのは違うと思う。そういうことを、プロゲーマー・ウメハラさんの講演で聞いたばかりです。

関連:(動画・まとめあり)格ゲーのプロゲーマー・ウメハラの慶応大学での講演がめっちゃよかった!!「周囲の期待に応えない」ということ。【1/19 BeasTV】

そのために、これから気を付けていきたいと思っていることが2つあります。すでに不十分ながら実践し始めていることですが、改めて整理しておきます。

本音という毒と薬。1つ目は、「守りに入らずにしっかりと本音を書く」こと。

天才的なブロガーならいざ知らず、私のような凡庸な書き手では、「感情表現を抑え、冷静な考察や事実のみを論理的・客観的に伝える」というような書き方では勝負できないということがよくわかりました。

例えば、ゲームのレビュー記事でそれをやると、たいてい説明書みたいになります。

説明書、読みたいですか? めんどくさくありません?

もちろん、未だかつて誰もしていないような発見とか、斬新な視点・アイデアとかがあれば、そういう書き方のほうがいいのかもしれませんが。まあ、私の記事にはないですね。
アカデミックな論文じゃないんだから、論理性・客観性よりも、もっと娯楽的に書いていきたい。もっと自分の感覚や感情を重視したい。もっと毒と本音を入れて、ブラックな事もしっかりと書いていきたい。人間、綺麗事だけじゃ生きていけない。


なぜ、匿名掲示板は人気があるのだろう?
なぜ、ニコ生(ニコニコ生放送)は人気があるのだろう?


それは、「本音がある」からだと思う。
綺麗事で埋め尽くされた表の世界に、私達はいないんだよ、本当は。
そこに自分の体験したことなんて書いてない。建前が書いてあるだけ。そういうことになっているはずのこと。しかし、本当の個人の体験は、千差万別。「前向き」だけで生きていけるような生易しい世界じゃない。

完全に清廉潔白な人間なんていない。あの「I have a dream」の演説で有名なキング牧師だって不倫してたしね。
もちろん、良い面や優しい面もあるけれど、同じ人間が違う瞬間には、煮えたぎるような憎悪や嫉妬を抱いている。



そして、なぜ表の世界には本音がないのか?
それは、本音を書くと叩かれるからだ。書く方も身を切らなければならない。匿名だったらその必要はない。一定の時間が経てばIDが変わる。管理者以外は追跡できない。

でも、匿名掲示板に書いてもなかなか誰も信じてくれない。共用の場所だから、脈絡を考えずにいきなり長文を書き込むのも問題がありそうだ。それに匿名掲示板やニコ生の模倣をしようというわけでもない。
匿名掲示板やニコ生と一口に言っても、その内部には無数の違った場所がある。もちろん中には超くだらない場所もたくさんある。

何よりも、自分の書いたものは自分の場所に集積しておきたい。感情表現としての短い書き込みだけではなく、しっかりと自分の意見を論じたい。だから私はブログに書く。


そして、本音を書くと傷つく人もいるだろう。

ある問題・状況に対する立場が2つあって、それをAとBとしよう。
(抽象的でわかりにくいので、Aに「任天堂」・Bに「ソニー」を入れてもいいし、「マイクロソフト」・「アップル」を入れてもいいし、「あなたが好きな人」・「あなたが嫌いな人」を入れてもいい)

Aの立場から書けば、Bの立場の人は気分を害するだろう。
Bの立場から書けば、Aの立場の人は気分を害するだろう。

じゃあ、「AもBもどちらもいい」と書けばいいのか?

そんな日和見主義は誰も救わない。傷ついた人は傷ついたままになる。苦しむ人は苦しみ続ける。
そういうものが表の世界に蔓延している。まあ、そうしないと回っていかないこともあるもんね。ある程度は仕方なくはあると思うけど、それだけじゃ足りない。民放のテレビ番組が人を救うのか? 誰かの好きな生主(配信者)は、その誰かの人生を大きく支えている。そして、ブログの役割とは?

ある事を為したために不正である場合のみならず、ある事を為さぬために不正である場合も少なくない。(“賢帝”マルクス・アウレリウス)

(人間個人は、「みんなちがってみんないい」という立場には賛成だけど、その言葉だけで人は生きていけないと思う。「毒」も必要。「みんないい」なら毒を吐く人も「いい」んじゃないの?
寛容をうたう人ほど不寛容とはよく言うけど。実際は、自分と同じ立場の人だけに寛容、違う人には不寛容、という状態になっていることも多い。
また、未だに小学校で学習した「人の悪口を言わない」というような規範的な倫理をよく検討せずに信仰している人がいることに驚く。そういう人は、その立場もA・Bというような対立構造に巻き込まれていて、他人を傷つけていることにたいてい気が付いていない。もしかしたら、Cという立場やDという立場があるかもしれないということを模索していない。思考停止状態にある。(もちろん、よく検討した上でその立場を取るならば、その態度を私は否定するものではありません。)
私は人をdisるタイプの生主に癒されて元気が出ています。他にもそういうリスナーが山ほどいます。)

薬も見方を変えれば一種の毒物だ。毒性がないと、回復できない状態もある。そしてそういう毒が今、求められているのだと感じている。


毒とは、本音のことだ。生の感情や感覚だ。


その毒で誰かが傷つくのかもしれない。しかし、そういう書き方で書かれた文章でないと、救われない人が今の日本にはたくさんいると思う。
八方美人な綺麗事では、もはや他人事としか思えない。その中に、自分の体験や苦悩は全く含まれていない。現実とかい離した綺麗事の海の中で、窒息死しそうになっている。

(それに、ブログや生放送は嫌なら見なけりゃいいだけ。よそに行けばいいだけ。リアルで共用のスペースを占有したり、組織として意思決定して行動しなければならないという状況とはわけが違う。)


私はそういう人に向けて書いて、少しでも楽しんでもらいたい。
他人と同じことしか言わないのなら、書く意味はない。同じものはネット上にたくさんある。データは簡単にコピーできる。

各々のやり方があるだろう。私が面白い配信ができる人間だったら、ニコ生で生主になっていたかもしれない。
今、自分に出来る事。それは記事を書くことくらいだろう。まだまだ未熟だけど……。


(※文中の「救われない人」「そういう人に向けて」とは、過去や現在の自分でもあるんだよなぁ……。)

関連:この記事は割と攻めていると思う。ある萌え声・嘘つき女性ゲーム配信者が私たちにくれた勇気

あと、これも。「~ですよね」「~だよね」という言い回しが不快な理由を文法面から考察する
あえて不合理なほど好き嫌いを表に出した。普通、ここまで「~ですよね」という語尾にはこだわらないですよね。ぶっちゃけ細かすぎてめんどくさい奴。そんなことは百も承知。
だからこそ、そこに「個人」が表出すると考えています。


個人という物語。2つ目。私の記事や文章は、変化し成長し続けます。

1つ目は記事単独での面白さについての話だったが、2つ目はブログとしての面白さについての話だ。

一生、同じスタイル・同じテイストで記事相互の関連がないと、読んでいるほうはただのハウツー本のように見えてしまい、自分が関心のあるハウツーを学んだなら、もうそこには用はないだろう。

「~のための3つの方法」「~の成功の5つの法則」
「○○の本の感想」「××の本の感想」

こんなタイトルの記事が一生並んでいる無機質なブログ、見たいですか?


こういう方針では、記事一つ一つが抜群に面白く、才気に溢れた書き手でないと大衆に埋没することになると思う。

皆さんも、ある本の書評とかをグーグルで検索しても、たいていそこに出てきた記事をブックマークはしないのではないでしょうか。よほど面白い・便利か、そこに「物語」を感じさせないといけないのだろう。

つまり、書き手は変化し続けなければならない。成長し続けないといけない。そこに「物語」がなくてはならない。逃げずに戦って、生き様を背中で語らなければならない。


ニコ生の人気生主といえども、毎回面白い放送をしているわけではない。抜群に面白い放送もあれば、延々と見飽きた光景・繰り返してきた話題の雑談を放送することもある。

でも、好きな生主の放送は毎回見たくなる。
それは、その人の移ろいゆく日常を語っているからなのだろう。面白い日も、つまらない日も。

神は、移ろいやすいものだけを美しくした。(ゲーテ)

(ここには「寂しさの解消」「同じ時間の共有」という理由もある。長くなりそうなので、別の機会に語ってみたい。
いくら同じ時間を共有したいとしても、興味のない過疎生主の放送じゃご不満でしょう。
テレビ的な綺麗な面白さという要因もある。それはつまり、単にあるスキルが抜群に優れているということ。ユーモアとか、スポーツとか。)

関連ある萌え声・嘘つき女性ゲーム配信者が私たちにくれた勇気
また同じ記事を例に出しますが、この記事では妙に読者に対する問いかけが多くなっていますね。今読んでいる記事でも同様。これも変化の一つでしょう。

関連:ブログを始めたばかりの頃の恥ずかしい記事を紹介しようと思ったが、私はたまに過去の記事のリライトをするタイプなのでわかりやすいのが残ってなかった。その中でも、例えば「ブルーバレット」歩数制限付き戦略的3DダンジョンRPGとか、好きなゲームなのにその面白さをいまいち言葉に出来ていない(ゲーム自体はめちゃくちゃ面白いのでおすすめです。そこは変わっていません)。他にもそういう記事がたくさん残されている。これらと比べると、最近は成長しているのではないでしょうか。


以上、未だ満足な結果を出していない人間の私見でした。
最後に、本音を書くと言っても、全方位disを始めるというわけではありません。ご安心を。誰かに対する憎しみも本音だけど、誰かに対する応援したい気持ちも私の本音です。


関連:「炎上」と、表現の委縮について。「コミックビーム・奥村氏が語る、漫画雑誌の前途多難と表現の現在」をフリゲ界の立場から読む

関連:ネット上での言い争いについて。ネット上における「煽り合い」の形態、3つの作戦とその具体例


  
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この記事を書いた人

konoha  konoha/コノラスTwitter [つぶやきと更新通知]note [喜怒哀楽に全力な日記]

 「良い作品と出会い、より深く楽しむためのレビュー・批評、そして思い出」を発信しているブロガー。好きなゲーム・音楽・文学などを全力で語る。嫌いな言葉は「明るく」「協調性」「頑張る」。学校が嫌いだった。近頃はnoteで、過去の重い話や好きなことで生きていくための歩みを書いている。

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