※有名ブログ等を見ていて、このブログに一番欠けているものは「どういう奴が書いているのか?」ということだと感じました。私は自分の話をするよりも、他人の優れた作品の話をするほうが好きなのですが、プロフィールとかも書いておくことにしました。楽しい話はしていないので興味がある方だけどうぞ。

(このブログを書いている人)konohaは、「満たされない人生に、ゲームでささやかな楽しみと癒しを」をテーマに発信しているブロガー。

人生、どうにもならないことだらけ。どんなに立派なお題目を聞いても、結果のほうはどうでしょう。そんな状況でも楽しめたり癒されたりするものを、いつも探しています。主にゲーム。配信とか動画も。あるいは小説や音楽も。その他の本や漫画やアニメや映画も。

何かしら、病的だったり後ろ暗さがあるようなものとか人とか場所が好きです。日の当たる場所では息が出来なくなります。

このブログは、過去の自分にも届くように書きたいと思っています。知ってさえいればどうにかなることもあるので……。

「明るく」「協調性」「頑張る」というような言葉が吐き気がするほど嫌いです。
  • "スタッフ募集・「明るい」人・時給~円"というような貼り紙が、差別主義者のヘイトスピーチにすら見えてきています。
  • 「協調性」という言葉は、多数派が少数意見を封殺することを正当化し、服従させるためによく使われるので嫌いです。
  • 「頑張る」とか「努力」は、嫌なことを無理して頑張るより、好きなことを楽しんでやった方が結果が出るし、生産性が高いと思っているので嫌いです。正しい方向性の努力は好きです。正しい努力をしている人は、他人の粗探しをしたりクソリプ送ったりしないと思います。

あとはニコニコ生放送をよく見ています。コメントするのも好きです。配信者が笑ってくれると嬉しくなります。

ジョギングと瞑想が好きです。

やばいくらい下手な小説(ほぼ書き始めたばかりの頃のやつ)を、何を思ってか文フリ(純文学系の同人イベント)に出したことがあります。

文章が上手じゃないので、無駄に偉ぶってるみたいになってるときがあります。特に昔の記事。別に偉ぶりたいとか、誰彼構わず叩きたいとかじゃなくて、ただ下手なだけです。申し訳ありません。

どこまでもマイペースに、人どうしの違いを大切に。

もくじ



ゲームとか趣味と勉強から語る生い立ち

基本、息も絶え絶えに死にかけながらなんとか生きてきただけなので、華々しい実績とかありません。「○○を成し遂げた!」とか「××の悔しさをバネにして今がある」みたいな話、ないです。


小学校~中学校あたり

ゲームばっかやってた。

スーファミのゲームをたくさんやってた。何が印象に残ってるかなぁ……やっぱりドラクエ3とか5とか。マリオRPGとか。マリオワールドとか。

そして、ニンテンドー64のマリオを初めてやったときは、衝撃的だったな。
スーファミからの進化のレベルが異次元だった。全く違う世界が開けたような感覚になった。3Dってなんだよ? 映像のレベルが全く違う。3Dスティックって!……学校休んでやってました。

あと、初めて自分用のパソコンを持てて、ウインドウズが起動する音を聴いたときも衝撃的だったな。思わず「すご!」って声が出た。

【実体験】私も学校が大嫌いだった。『#だからひとりが好き』というハフポストの企画の記事を読んで。にも書いたけど、そのパソコンを使って作ったゲームをネット上で公開していて、それが割とヒットしていた。

当時のネットと今のネットじゃ人口が違うけど、たぶん昔のほうがネットで有名だったと思います……別に有名になりたいとあんまり思わないけど。ひっそりと静かにやりたい。でもアクセス数が少ないと悲しいけど。

ホームページとかも作ってましたね。当時はとくにゲーム以外は発信したい内容がなく、それよりも技術的な面に興味があった。HTMLとかCSSとか、プログラミングとかね。


一方リアルでは、勉強以外のあらゆることに「世間の人についていけない感」があった。
でも、ある時に病院とかで調べたところ異常はないらしい。「ただの能力・適性がアンバランスですごく不器用な変人」のようだった。好きじゃないだけで、不器用なだけで、たいていのことは出来なくはない。下手だけど。

ちょっとは出来るのは水泳くらいw

勉強は人よりは出来たけど、別に取り立ててすごくはないレベル。


高校~大学あたり

高校時代は受験勉強ばっかやってた。

地頭は良くないし凡人だから、あまりにも多くの犠牲を払って、まあまあの高校からまあまあの大学に行った。悪くはないしまあまあ良いけど最高レベルではない、そんな感じのところ。

平均的な人よりは学歴だけはあるけど(それ以外のほとんどのことは人より苦手だけど)、本当に学歴なんてどうでもよかった。学歴なんかよりも大事なものがたくさんある。ありすぎるくらいある。

そもそも、別に大学になんか行かなくてもいい。自分の場合、得たものよりも失ったもののほうがはるかに巨大だった。そして、10代~20代前半という貴重な時間は、たぶんどうやっても取り戻せない。

今でも血肉となって自分の中で生きているものは、学校とかじゃなくて全部自力で主体的に身につけたものだ。
学校で学べることや教えられることの多くは、本当は別に知らなくてもいいことだった。あるいは他の場所でも学べるし、そっちのほうが効率が良くて楽しかったりする。

この時期、死ぬほど辛かったな。その割にほとんど以後の人生の役に立たなかった。自分は「感性」の人間であって、別に頭がいいタイプの人間じゃないから、無理してもあまり身につかなかったし、無駄が多すぎた。


あと漫画を死ぬほど読んでた。アニメも見てた。これまではサブカルにあまり触れてこなかったけど、一気に波が来た。何が一番衝撃的だったかと言うと、ジョジョとカイジ。今も好きだわ。

アニメでは、ハルヒとからきすたとか。あの時代はアニメにドキドキしてた。自分も周りもすごく盛り上がってた。時代が熱狂してた。ニコニコ動画とか。遊戯王MADとか好きだったなー。

そして、次の「平均的な人間に必死で擬態していた」にも書いたけど、時間が経つにつれて人間が壊れていったので、音楽に命を支えられてた。

関連【癒し】「消えたい」「自己嫌悪」「イライラする」という方への歌と曲。音楽アルバム5選


その他のことも色々あるけど(【実体験】私も学校が大嫌いだった。『#だからひとりが好き』というハフポストの企画の記事を読んで。にも詳しく書いてるのでよかったら)、未だにどんな言葉にすればいいかよくわからない。小説とか書くときは、このあたりの時期のことをよく思い出してます。

今は友達とかもあんまりいないけど、欲しいとも思わない。そもそも、昔の人間関係を自分から絶って今がある。

昔は激しい孤独を感じることも多かったけど、彼らが自分の求めるものを持っているわけではなく、彼らとの間に築くこともできないんだと理解してからは、その孤独も消えていきました。興味がなくなりました。

ネットよりリアルが大事ってよく言うけど逆だと思ってる。ネットの方が大事。この国、リアルにはろくでもない人間がたくさんいる。あまりにも多い。ネットにもいるけど見なければいいしブロックすればいい。

あるとき気づいた。リアル重視で生きてきたけど、ここに自分の本当の居場所はない、と。


他にも色々とエピソードはあるけど、他人にあまり興味がないので、そういう系は今のところまだ書いてません。ここまでの話から受ける印象からは意外なくらい、割と色んな人と話したけど。探し求めていたので。
折に触れて、このプロフィールをリライトしたときに何か書きたいな。何かおもしろエピソードとかあったかな……。サイコパスみたいなエピソードならいくつかあるけどw


「平均的な人間」に必死で擬態していた

「二つの回路」

自然な、ありのままの自分を、周囲から常に否定されながら生きてきたので、小学校高学年くらいからはずっと、「その場において都合のいい人間」「その場で好かれる人間」を演じてきました。

いつも自分の頭の中では、「二つの回路」が動いていました。

一つは、本来の自分の感じ方考え方。

もう一つは、「その場において好かれる人間」の感じ方考え方の模倣。
他人の思考回路や感じ方をラーニングして、まるでコンシューマーゲームのエミュレーターを設計するかのように別回路を作成し、誰かと会うときには動かしていました。

もちろん、誰しも好かれる自分を演じているという面はあると思います。TPOに応じて自分を使い分けるというわけですね。

でも私の場合、「平均的な人間」との隔たりがかなり大きかったので、「もともとの自分に軽く補正をかける」という程度ではなく、「一から別に全く違う回路を作り上げて動作させる」というレベルだったということです。

そして、「平均的な人間」「その場で好かれる人間」と言っても、パターンは一つではなくたくさんあるので、自分の中にもいくつかのパターンが用意されています。
対応する相手や場所にも、得手不得手があります。データ不足・理解不足で完成度がいまいちなパターンもあります。いくつかのパターンの計算結果を組み合わせて、出力する結果(行動や言動)を総合的に判断することもよくありました。


もちろん、脳は人並みで別に頭がいいわけではないので、「CPUやメモリの使用率が常にかなり高い状態」です。いつもオーバーワークです。

(前にマッサージ屋に行ったら、神経を使い過ぎて異様に肩や首が張っていると言われたことがあります)

当然ながら、徐々に体調が悪くなっていきました。もともと平均的な人間のやり方に比べると、効率がひどく悪いので、パフォーマンスも人並み以下でした。

でも、日本には「出る杭は打たれる」「異物を排除する」という文化が深く根付いているので、やめることもできないし、どうしようもありませんでした。本来の自分で勝負できるほどの、強さも能力も自信も環境もありませんでした。当時は特に。

ずるずるとそれを10年位続けていると、大学生の時、ついに壊れました。もう何もできないし、何もわからなくなりました。自殺しようと思いました。

でも紆余曲折あって、なんとかなりました。
何に救われたかというと、ネットであり、ゲームであり、ニコニコ生放送であり、音楽であり、小説やその他の本でした。
リアルにあるものや人は、何ら寄与しないどころか、悪影響しかありませんでした。

上述の、「過去の自分にも届くように書きたい」「リアルよりもネットが大事」というポリシーは、このような経緯で形成されていきました。

ブログと、ユングのタイプ論(性格類型)の「内向的直観型」

作り上げてきた「別回路」を生かして、「この人はこんな風に思ったのかな?」とか「この作品はこんな風に考えて作られたのかな?」ということを考えながら、このブログを書いています。

もちろん、私にはドストエフスキーのような超人的な洞察力も無ければ、天才的な批評家でもないし、特別なトレーニングを積んだわけでもないので、外れることも普通にあります。そもそも人間という存在自体が複雑すぎて、情報力があまりにも多いのでそんなもんだと思います。

でも、心の回路設計の作業に人生のかなりの時間とエネルギーを費やしてきたので、他人の心の成り立ちのようなものが少し透けて見えるような気がしています。

人の感じていることとか考えていることについて、「なんで何も言ってないのにそんなことわかったの?」ってよく言われます。

ユングのタイプ論(性格類型)によると、自分は「内向的直観型」だと思っていて、その特徴は「内面的な(未来の)可能性によく気が付く」(わかりにくい)とか言われます。要は、外からみると「突拍子もないことを言う人」なんですよねー……。

ユングは、人間はそれぞれ最も得意な心理的機能を持っていると考え、「思考」「直観」「感覚」「感情」の四つを定義しました。

例えば、ある絵画を見た場合でも、人によって起こる情動は違います。以下に例を挙げてみます(あくまで、例えです)――

「思考型」・・・・この絵は何を意味するのだろう? などと考える、判断する。
         何派のどういった画か、属性などについて考えを巡らせたりする。
「直観型」・・・・まったく別の発想を得る、そこから可能性を得る、受け取る。
         この画をヒントに、別の問題の答えを導き出したりする。
「感覚型」・・・・色や形を的確に把握する、そのまま詳細に受け取る。
「感情型」・・・・好きか嫌いか、感じがいいとか悪いとかを決める、判断する。

タイプ論│やさしいユング心理学2【城太郎日記】より引用)
※これらの四つの型に、さらに「外向性・内向性」(関心が外向きか内向きか)が掛け合わされて、大きく八つの型に分かれます。より詳しく知りたい方はリンク先のサイトがおすすめです。たぶんネット上ではベストな選択。


話を戻すと、自分の場合、何かについての文章を書くにしても先に「結論」が頭に浮かびます。その「過程」や「わかりやすく説明するための例」を考えるのは別に得意じゃないので割と疲れるし、うまく言えないことも多々あります。
ブログではうまくいったときの成果を書いています。「絶対、これはこんな風になっているのに、どう示せばいいのかわからない!」ってよく思ってます。

天才的な数学者なら、「ポアンカレ予想」みたいな名前がついて後世に語り継がれるのかもしれませんが、私はこういうタイプの「適性・方向性」を持っているというだけで、「能力的には凡人」なので苦労しています。そんな大層なことは分かりません。

上述の「文章が上手くない」ということともこれらは関連があります。自分の中の言葉を、他人にも理解できるように「翻訳」する作業があるので、その技術がまだまだ、という面が大きいと思っています。特に昔は、自分の中では意味があるけど、他人からみたら意味がよくわからないことをよく書いてました。


あと、内向的直観型は「詩を作る」のが得意だ、とも言われますが私は別に得意じゃないです。苦痛に満ちた人生を送って来たので、noteという場所で毒々しいこと、怨念や憎悪を込めた内容を書いていますが、別にクオリティは高くないと思います。やはり「適性・方向性」の話で、「能力的には凡人」であるみたいです。

関連:konoha|note


他人との違い、個性は武器だ。幼稚園のエピソードから

幼稚園児時代に絵を描いたときの先生とのエピソードが、今でも胸に強く残っている。結局それが、私という人間の本質をついているのだろう。

それにしても、子どもの絵は面白い。ネットで検索しているとこんなサイトがあったのでぜひ見てほしい。

作品館松岩寺幼稚園

こんな面白い絵は、「普通」になってしまった大人には描けないだろう。大人になると、皆「普通」になりたがる。他人の目を気にして目立たないようにしている。個性を圧し殺している。
かくいう私も絵心が全くないので、ひどい絵しか描けないと思う。でも、子どもの頃は違った。読者のあなたも子どもの頃はきっと違ったはず。本当は皆、それぞれの個性を持っていた。


今、その個性はあなたの中で長い眠りについている。

(もちろん、そうではなく開花させている方もいらっしゃると思いますが)


幼稚園の教室で、それぞれに画用紙が1枚ずつ配られて、私達はかぼちゃの絵を描いた。

さすがにもう他の園児の絵の内容までは覚えていないけど、教室の後ろにそれぞれの絵が掲示されたとき、自分の絵だけが画用紙2枚にわたっていたことをよく記憶している。「大きすぎるかぼちゃ」を描いてしまったのだ。

良くも悪くも、私は「絵は画用紙1枚の範囲に描くものだ」という常識を破っていた。生まれつき、型破りというか型にはまれない性格だった。


その絵がそうなったのは、私自身の性格によるものだけじゃない。そのときの先生の優れた教育方針のおかげだ。

まず、私が画用紙1枚で到底収まりきらないサイズでかぼちゃを描いていた。何色かのクレヨンを使いながら。

描いているうちにやがて、画用紙の端が気になり始めてくる。


…それを見た先生が、そっともう1枚の画用紙を差し出してくれた。優しいほほえみとともに。

この時の記憶は、今でも胸に残っているし、いくら年を重ねても忘れることがないと思う。自分の中で、教育者の鏡、理想像、尊敬すべき人間として強く刻み込まれている。この先生の機知と深い慈愛に満ちたファインプレーなんて、当時の私には理解できるはずもないが、それでもなぜかずっと覚えていた。

真心からの行動は、意味が理解されずとも伝わっている。

(その真意が理解されるまでには時間が必要なのかもしれないけど。)

「普通」の人ならきっと、画用紙1枚に収まるように書き直させるだろう。最初に描いた絵は「失敗」としてゴミ箱へ捨てられるのかもしれない。



この先生のような行動をとっさに行うためには、自分自身の人生をごまかさずに、周りの人に流されずに、自分なりに真剣に生きていないといけない。つまり「信念」が必要だ。

「信念」を持たずに、創造的に日々を生きていない人は、自分の過去の経験からは解釈不能な「未知」のものに出会ったとき、それを「否定」する。そこから逃げたり、攻撃したりする。つまりそれは、「脅威」であると判断している。

一方、「信念」を持って、日々を創造的に生きている人は、その「未知」を楽しむ。自分の成長のきっかけや新しいアイデアのもとになるからだ。

……

その先生とは、小学1年生になってからも、一度だけ話をした。


教育というのは本当に大切な仕事だ。他にも、まだ肌寒い正月明けの頃、幼稚園のよく陽が当たる縁側でコマを回したこととか、今でも覚えている。そのときもきっと、見守ってくれている人がいたのだろう。


……

歳を重ねるにつれて、日本の風土と私の性向はミスマッチだったようで、「大きすぎるかぼちゃ」のようなものは否定されるようになり、書き直しを要求されることが増え、やがて私は絵を描くこと自体を辞めてしまった。


本心を偽り、他人に合わせて生きていると、胸が軋む。

生きている喜びや、生きている意味自体を喪失していく。一日ごとに、少しずつ、そして致命的に。


何度も心が壊れそうになり自殺しそうになったけど、大人になって、「自分の個性を生かせる場所へと移動すること」が自力で出来た。

そうしてなんとか今も生きています。今日も「大きすぎるかぼちゃ」の絵のようなものを描いています。

他人との違いは欠点ではなく、私の武器。


「しないことリスト」

最初、『人生の100のリスト』という書籍に言及しているブログを見たのをきっかけに、私も「人生でやりたい100のリスト」を作ろうとした。

世界一周したい……?(いや、別にしたくないな)
幸せな家庭を築きたい……?(絶対、嫌だ。一人にしてほしい)
ブログをもっと人気にしたい(これは、まあ。でも有名人になりたいとは思わない。ひっそりとやりたい)

……

……

違うな。こんなんじゃない。

私は外向きなエネルギーが少ない人間で、「何かをしたい!」と強く突き動かされるというようなことがほとんどない。内向きなエネルギーなら割とあるんだけど。

「人生でやりたい100のリスト」という前向きな響きがもうきつい。

仏教でいう「少欲知足」が座右の銘です。

ジョジョの吉良吉影じゃないけど、植物のように穏やかに暮らしたい。


そうだ、「しないこと」をリストにしてみよう。



(この方の著書は以前に購入して手元にありますが、まだ読んでませんww 書評を読む限り、そういう感じの本みたいです)

私の「しないことリスト」
  1. 論理的・合理的な正しさにこだわりすぎない(積極的に失敗したり、間違ったことを言っていく。その方が人間的で、魅力的。そうしないと、息が詰まる。効率的であることは楽しさを最大化しないし、人生の最適解ではない)
  2. 他人と違うことをやることを恐れない
  3. 不確かな世間の「常識」「倫理」に従わない(哲学の一部門、倫理学を学べば世間に流布している倫理がいかに脆弱かということがよくわかります。動物からの倫理学入門が入門にも、動物に興味がない人にもかなりおすすめで、超面白かった。釈迦の言葉で言うと、「自灯明・法灯明」ですね。論理的な倫理学よりもっとソフトに吸収したい方には「善人」のやめ方がおすすめ)
  4. 無理をしない(短期的に結果が出ても、長期的には決定的に自分を損なう)
  5. 自分には出来ないと簡単に思わない
  6. 他人の意見をあまり聞かない(他人は他人、私の今までの何を知っている? ただし、尊敬する人の意見は積極的に取り入れます)
  7. なるべく協調しない(協調性皆無な人間なので、相手を選ばずにやると自分が致命的に死ぬ。生きている意味がなくなる)
  8. 無駄を恐れない(無駄だと思われているようなことにこだわり続けられるのが自分の武器)
  9. なるべくがんばらない(「がんばる」、「努力」というのは私が一番嫌いな言葉。がんばらないと出来ない時点で、楽しんでやっている人には絶対に勝てない)
  10. 言い争いをしない(私は口下手なので、大体不利な展開になります。思っていることの半分もすぐには言葉に出来ない。それに、相手を論破し、ねじ伏せたところで何かが変わるわけではない。憎しみが募るだけ。それよりも、もっと建設的に。)
  11. 自分が嫌な事は出来る限りしない(「嫌な」のと「怖い」のは違う。「怖く」てもやりたいこと、逃げたくないことがある。「嫌」というのは、それはやるべきではない、それは自分には向いていないし成長できないという心の叫びだ)
  12. なるべく空気を読まない(他の人の意見や感想を強く反映した記事を書いていたら、それは読者さんに対して不誠実だ)
  13. 嫌われることを恐れない(好き嫌いはあって当たり前。人は理由なく人を嫌うこともある。無難な記事は、誰も得しないし相手しない)
  14. 弱みをケアするのではなく、強みを伸ばす(そうじゃないと生き残れない。苦手なことが多すぎて)
  15. 自分より年齢が若い人を、その若さに付け込んで批判しない(「老害」には絶対なりたくない。ユングを学べばよくわかるけど、人間の成長は直線的ではない。先に進むために退行したり、ある部分の成長が先行したりすることはよくある。一面的な評価ができるはずがない。そしてそれぞれの個性と適性がある。)


野望とか

このブログの基本的なコンセプトは「応援」です。

ほんの少しずつでも、一滴の水でも影響していきたい5つのこと
  • ゲームの地位向上(低く見られてるのが嫌)
  • マイナーでも良いものを広める
  • 苦しんでいる人を癒したり勇気づけたりする
  • 労働問題・貧困問題の前進
  • あらゆる形の差別をなくす
善人ぶってて嘘くさいと思う方もいるかもしれませんが、これはポジティブな動機からとかじゃなくて、こういうことをするのが私にとってのある種の「復讐」なんですよ。

自分が「おかしい!」「むかつく!」とか、「Fuck you...ぶち殺すぞゴミめら・・・!」(※)と思ったから変えたいだけ。他人のためじゃなくて自分のためです。そうでない活動は続けていけない。私は高尚で崇高な理念とか持ち合わせてません。相当に俗っぽい人間です。

※「カイジ」の利根川の台詞です




好きなもの・嫌いなもの

好きなフリーゲーム:Seraphic Blue、アナザームーンホイッスル、ワールドピース&ピース、ざくざくアクターズ、ドグマの箱庭シリーズ、ひよこ侍、グリム・ディエムの冒険録 あるいは忘れられた海の底で(【長めレビュー】『グリム・ディエムの冒険録 あるいは忘れられた海の底で』)、他多数。

なぜフリーゲームなのか
フリーゲームの良さは、「気軽さ・身近さ」と「作家性(ユニークさ・オリジナリティ)」だと思っています。
ただゲーム性に触れたいだけなら、コンシューマーゲームでもいいのかもしれません。

しかしこの2つの特徴から、他のものには代替されない特有の面白さがある。そして暖かみがある。それが自分にとってのフリーゲームをやる理由ですね。


好きなコンシューマーゲーム(RPG):ドラクエ5、ドラクエ10(ver2まで)、FF7、FF10、聖剣伝説LOM、世界樹の迷宮、ラングリッサー2、サガ・フロンティア2

関連:名作・サガフロ2で一番泣いたシーンを語る。ストーリーのプレイ動画(縛り含む)のおすすめも。
オンラインゲーム・DQ10を引退した時に書いた→なぜ『DQ10オンライン』は不自由で息苦しいのか? MMORPGの社会学。

ノベル):428 〜封鎖された渋谷で〜、CLANNAD、Fate/stay night、CROSS†CHANNEL

好きな格ゲー・対戦ゲー:スパ2X、スト3 3rd、ハースストーン、MTG、ガンダムvsガンダムシリーズ、スマブラDX、ポケモン(バトレボ)

音楽は、syrup16g、ムック、THE BLUE HEARTS、THE BACK HORN、尾崎豊、ZORNあたりが好きです。曲を挙げると、
  • syrup16g 「I.N.M」
  • ムック 「未完の絵画」「遺書」
  • THE BLUE HEARTS 「少年の詩」
  • THE BACK HORN 「惑星メランコリー」「孤独な戦場」
  • 尾崎豊 「僕が僕であるために」
  • ZORN 「Reverse」「奮エテ眠レ」
詳しくはカテゴリ:鬱な邦楽ロック・音楽あたりにいろいろ書いてます。最近のおすすめ記事は、【アルバム】ZORNの『The Downtown』が最高過ぎた。名曲は「My life」や「Letter」だけじゃない。HIPHOPって超かっこいい。(MVあり)

小説は、村上春樹、三島由紀夫、太宰治、中島敦あたりが好きです。
詳しくははカテゴリ: 純文学・小説・読書とか。おすすめな記事は【おすすめ・解説】中島敦「悟浄出世」「悟浄歎異」(わが西遊記) 青空文庫にて無料ですぐ読める

アニメと漫画についてはまだあまり記事を書いていませんが、それぞれ、1stガンダム・Zガンダムと、井上雄彦『リアル』、ひぐちアサ『ヤサシイワタシ』、福本伸行作品、ジョジョ、遊戯王あたりが好きです。

嫌いなもの:「同調圧力をかけてくる人」「思い込みの激しい人」「虚栄心の強い人」「反論できなくなると、個人攻撃に話をすり替えようとする人」「老害(年齢を問わず、人の粗探しをして足を引っ張っている人。自分の人生を生きていない人。自分で自分を認められないから、他人を認められない人)」

基本的に人間の嫌いなタイプが多い。こういう人達に限って、変な自信があって気持ち悪いんだよなー……。
でも、些細な言葉遣いとかはどうでもいい。本質的な態度が大事。美しい人の美しさは口先だけじゃないし、醜悪な人間の醜さはどんなに口先を取り繕っても無駄。すぐばれる。

なるべく人と関わりたくない……。一人でいるのが好き。たぶん、巷にいる「一人でいるのが好きな人」の10倍くらい好き。寂しいとか思わない。2人以上でいるときのほうがよほど孤独だわ。

食べ物の好き嫌いはほぼないですね。昆虫食とかはつらいですが、日本でよく食べられているものならたぶん食べられないものはあんまりないと思います。逆に好きな食べ物を挙げるのにも悩む。あえて言うならうどんとか?


以上。気が向いたらまた更新します。

SNS
  • ツイッター(ブログの更新通知や、リアルタイム性の高い話題とか):@sdw_konoha
  • note(エッセイとか毒々しい小説とか詩とか):konoha|note
ぜひ気軽にフォローしてね! フォロワーが増えるとモチベ上がります。喜びます。
SNSの使い方が下手で、ブログのアクセス数の割にフォロワーがかなり少ないので、助かります。よかったらいいねとかリツイートもね。
  
この記事を書いた人

konoha  konohaTwitter [ブログの更新通知も]note [毒々しい創作関連]

 「満たされない人生に、ゲームでささやかな楽しみと癒しを」をテーマに発信しているブロガー。他には好きな本・音楽とも全力で向き合う。ニコ生と某掲示板ばかり見ている病的な人物。息苦しい国だけどマイペースに、人どうしの違いを大切に。 嫌いな言葉は「明るく」「協調性」「頑張る」。学校が嫌いだった。 その他、詳しいプロフィール