※前置きとしまして、私はムックの他のアルバムをちゃんと聴いていないので、ムックをずっと聴いてきた長年のファンの方からすると浅いかもしれません。ムックというバンドが築いてきた流れ・変遷やダイナミズムというものは捉えられていません。『朽木の灯』単独で聴いた場合の印象となりますので、ご了承ください。

――ファンの間では最高傑作との声も多い4th Album『朽木の灯』。

朽木の灯
ムック
ユニバーサル ミュージック
2004-09-01


 私は今まで、ムックの曲は有名な曲をいくつか聴いたことがあるという程度だった(ちなみに、5th『鵬翼』の「赤線」とかも好きです。この曲、バックホーンの「孤独な戦場」と歌詞の内容が結構似てません?)。しかし、とある偶然の出会いから『朽木の灯』の曲を耳にし、CDを入手する機会に恵まれたので聴いてみたのだけれど、今まで聴いていなかったことを後悔した。

 いや正確には、ずっと昔に一度だけ聴いたことがあったのだけれど、自分の中のタイミングが合わなくて通り過ぎてしまっていた。しかし、心の中で「判断保留」のラベルを付けられ、そのまま忘れそうになっていたこのアルバムを改めて聴いてみると、相当良かった。かなりおすすめです。
 苦痛の悲鳴と退廃の美、という感じ。古びて廃墟になった館を憂鬱さに押し殺されそうになりながら、一人でゆっくりと歩いているような、そんな美しさを感じます。

ツバサは折れねじまがり孤独に形を変えた
血の涙流しても
けして景色変わることはなく

(「未完の絵画」より)

 まず、目立っていた印象の「未完の絵画」と「遺書」についてフォーカスして書きます。それ以外の曲についても後半で触れていきます。


「未完の絵画」

 一番好きな曲、「未完の絵画」(MUCC/未完の絵画の歌詞)。ラストトラックの「朽木の塔」でも感じたのですが、退廃的な美、古びて廃墟になった館を憂鬱さに押し殺されそうになりながら、一人でゆっくりと歩いているような、そんな美しさを感じます。「泣き叫ぶことしかできなくなって」という歌詞がありますが、泣き叫ぶような歌い方も痛切でいいですね。

 ところで、2nd『葬ラ謳』の「絶望」の「今はただ今はただ押し寄せる孤独に囲まれあてもなく 幻覚の空を草をかみながらゆっくり歩くんだ」という終わり方も好きです。
 「幻覚の空を」「草をかみながら」「ゆっくり歩くんだ」、この3つのワードだけで随分と情景が思い浮かび、イメージが飛躍する感じがします。でもこっちは「未完の絵画」「朽木の塔」に比べて、他人との物理的距離が近いというか、物理的には近くに他人がいてもおかしくない感じもしますね。外界と隔絶された空間という感じはそれほど、比較的強くない。いずれにせよ、心理的には絶望的な距離があるわけですが。

話を「未完の絵画」に戻します。

ツバサは折れねじまがり孤独に形を変えた
血の涙流しても
けして景色変わることはなく

 歌詞ではこの部分が特に好きですね。どんなにもがき苦しもうが、悲鳴を上げようが、目の前の景色は全く変わらない。目の前の悪夢のような光景は何度瞬きしても微動だにしない。残念ながらそれが現実。

あぁ 共に契った約束よ
もう二度と羽ばたくことはできないのですか

 それに加えて、この部分は後半で繰り返されるフレーズで、末尾の「羽ばたくことはできないのですか」が「羽ばたくことはできないのでしょう」に移り変わっていくのですが、この心の動きが好きですね。最初は「問い」の形だったものが、「諦め」へと変化していく。そんな風に感じました。

 「共に」という言葉が繰り返されることなどから、自分の片割れのような存在を喪失し、「約束」は永遠に果たすことが出来ないものとなり、描いていた「絵画」は未完に終わった。「絵画」というのは、何らかの共同行為なのでしょうね。そしてもう二度と「羽ばたくこと」はできなくなった。何らかの前進・飛躍の道は閉ざされた。

この歌詞を、この構図を、聴いたそれぞれの人がそれぞれの受け止め方で味わうのがきっといいのでしょう。

遺書

 次点で好きな曲は、「遺書」(MUCC/遺書の歌詞)。

みんな うわべだけの「前向き」をありがとう
簡単に悲しいふりをして
笑ってるおまえらが死ぬほど嫌いです

こういうの好きです。

 今の日本では、表の世界では、絶望的な現実から必死に目を逸らして逃げるような、そんなものは存在しないことにしたくてたまらない人達の、"うわべだけの「前向き」"の絶叫が響いているように感じられます。(近頃、徐々に変化しつつある気もしますが、でもやっぱりまだまだ。)そんなきれいごとでは人間、生きていけないと思います。良い面だけではなく、悪い面もあるのが人間でしょう。

 ユング的な言い方をすると、外向的な人は現実世界での解決を優先していて、それはいいのだけれど、内面世界での解決はそれに比べて遅れていて(内向的な人はその逆であることが多いので、どちらが優れているとかいう話をしているわけではない)、自分の中にある影を見て見ぬふりをして、存在しないものとして扱いたがっている、そんな風に私には見えます。

 例えば、ムックの歌詞に対するよくありそうなDISに、「中二病」という言葉があると思いますが、「中二病」の特徴は「それっぽいことを言っているだけで、中身は空っぽ」というものなので、ムックの音楽とは違います(少なくとも彼らの言うような意味においては)。そういうものは時の流れの中で風化し、消え去っていくものだということを歴史が証明しています。ではなぜそういう人は「中二病」と言ったのか?どこに「中二病」を見たのか?

 それは、その人自身の心の中にある発展途上の内向性が投影されているのだ、と捉えることが出来そうです。もちろん、音楽には人によって合う合わないがあります。それは当然です。『朽木の灯』が万人受けするようなタイプの音楽だとは思いません。しかし、自分にとって合わないと感じられる音楽を通り過ぎて行くことが出来ずに、嫌な感じや妙なこだわりを持ち続けているのだとしたら、それは合う合わないとは別のものが含まれているように思います。


 そしてこの部分には、「悲しいふり」というもう一つの要素があります。この曲の後半部分はこれが問題となっています。「ふり」というのは、ペルソナを用いて適切な対応をしているだけだという反論が考えられますが、その真意が見抜かれているわけなので、つまりそれは失敗している。その虚飾性が鋭く指摘され、表現されているのだと思う。

「幻燈讃歌」から「暁闇」、「溺れる魚」と「名も無き夢」、最後に「朽木の塔」

特に印象深かったこの2曲(「遺書」「未完の絵画」)の後の曲にも触れていきます。

暁闇」:「幻燈讃歌」からの流れがたまりません。静かな声からの繊細な入りが切ない。後半のメロディの展開も好きです。
2:07」:ムックはインストもいいですね。私はあまりインストが好きではないのですが、ムックのは好きです。他のアルバムのインストでは、2nd『葬ラ謳』の「ホムラウタ」も好きです。
悲シミノ果テ」:これまた存在感のある曲。「全て失ってしまえばぬくもりにすがることもない」
溺れる魚」:曲調が一転して変わる。フォークソングのような優しい感じ。内容もそれっぽく変化する(ムックの範囲内で)。

そして自然な流れで「名も無き夢」へ。青春パンクか?というような出だしのメロディ。
私は「前向きな考え方・ビジネス的に有益な思考法」「安直な希望的観測」や「転んでもまた立ち上がればいい」のようなことを簡単に言う人が嫌いです。


(私は"無駄"と思われているようなことに、納得がいくまで延々とこだわり続ける人間です。気がかりな同じ過去の出来事について、自分がキャッチできたその状況の全ての情報を詳細に検討し、前後の状況を含めてその場にいた全ての人間の思考をトレースし、それはどういう状況で何が起きていたのかということを様々な理論を援用しながら考え続けます。そしてそれが納得できるレベルに達したと思えるまで、(大抵の場合すぐにたどり着けないので)結果として何か月・何年たっても病的にこだわり続けます。そのトレース・解釈というのも、自分の感情が落ち着くとか、自分にとって都合がいいだけのものになっていないかということを特に考えます。

そしてその結果の知見を分解・再構成して小説とかに書いたりします。

でも最近、そういう熱意も薄れてきた気がする。年を取ったのか……。

こういう過去への執着って仏教では否定されますね、「妄想(もうぞう)」として。)


話を戻すと、私はそういう「うわべだけの前向き」という類のことを簡単に言われるのが吐き気がするほど嫌いなので、そういうことを言われると「君の人生よっぽど薄っぺらくて、本物の苦しみとか知らないんだろうな。君のそれ、後の喜びのための起承転結の一部としての苦しみでしかないんだろうな。ただのお飾りじゃん。」とかいろいろとDISりたくなるんですが、ムックの「小さな名も無き夢」は見てみたいという気になりましたね。

そこに至るまでの経緯が大事なんだろうな。一行書いただけでその言葉を誰もが信じるなら、小説はいらないという旨のことを確か太宰治あたりも言っていたっけ。

そしてラストトラック。
朽木の塔」:私のイメージでは、瘴気が漂っている沼の間を縫って朽ちた木の上を歩いている、遠くに古びた洋館が見える。後半の叫びに言葉では表せないような情念が込められている。



 非常におすすめなアルバムです。もっと聴きこんでいきたいし、これ以前のアルバムも聴いていきたいですね。
 逆に、初期のファンからは拒絶されることもあったという5th Album『鵬翼』とかは私には合わないかもしれない。THE BACK HORNでいうと4th『ヘッドフォンチルドレン』みたいな立ち位置なのかな?そして3rd『イキルサイノウ』(昔の気持ちを思い出して記事も書いています)は、ムックの4th『朽木の灯』みたいな。トラウマ的なものから離脱し、広い世界へと羽ばたいていったのかもしれないけど、残された側の人間としては複雑な気持ちになる。

(後記:最近、整然と文章を書きすぎている気がする。守りに入っている。もっと情念を込めて、混沌としたものを書いていきたかったんだけどな。そういうのも才能で、誰にでもできる事じゃないってことなのだろうか)

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