ALL TIME BEST

例えばあの有名な曲、「卒業」は尾崎豊が19歳の時に作られました。彼の楽曲は10代の頃のものが「名曲」と言われることが多いのですが、20代になってからの曲も名曲がいくつもあるので、この記事ではそれについて書いています。「太陽の破片」「永遠の胸」「Mama, say good-bye」など。

そして、尾崎豊の歌詞の中によく出てくる「」とは何なのか、どういう意味なのかということについても考えていきます。

私はリアルタイムで尾崎豊を聴いた世代ではありません。彼の死後、時間が経ってから聴き始めた立場の人間です。なので当時の空気とか、熱狂については伝え聞くばかりでリアルな感覚を共有していません。


彼にとっての"愛"とは何を意味するのか。「卒業」「太陽の破片」「永遠の胸」「Mama, say good-bye」から考える

さて、尾崎の楽曲には「社会への不満・反抗・疑問」「孤独・苦悩・葛藤」「自由への希求」「罪悪感」のようなものが頻出であるが、同時に「愛」という言葉もかなり頻出だ。

まずは代表曲・人気曲から、この尾崎にとっての「」という概念について考えてみたいと思っています。

尾崎が心の底から求めた「愛」とはどのようなものなのか。そして、尾崎は「愛」という言葉にどのような意味を与えていたのだろうか。


まず、彼の楽曲からいくつか引用してみます。

「やがて誰も恋に落ちて 愛の言葉と
理想の愛 それだけに心奪われた
生きる為に 計算高くなれと言うが
人を愛すまっすぐさを強く信じた」(『卒業』:1985年、尾崎19歳)

「誰も手をさしのべず 何かにおびえるなら
自由 平和 そして 愛を何で示すのか
だから 一晩中 絶望と戦った
僕はただ 清らかな 愛を信じている」(『太陽の破片』:1988年、尾崎22歳)

「人の心の愛を信じていたいけど
人の暮らしの幸せはとても小さすぎて」
「信じたい 偽りなき愛を 与えてくれるものがあるなら
この身も心も捧げよう それが愛それが欲望
それが全てを司るものの真実 なのだから」(『永遠の胸』:1991年、尾崎24歳)

これら(と歌詞の他の部分や、同時期の他の曲)を見て強く感じられるのが、「」とセットで登場する「信じたい」「犠牲を払ってもいい」「救われたい」という願望だ。

「愛」を信じたい、そのためなら犠牲を払ってもいい、だからこの苦しみから救ってくれ、といったところだろうか。「愛」を万能なものと捉えているようなきらいがあるところに理想主義的な印象を覚える……というよりは藁をもつかむような気持ちだろうか。尾崎の現実があまりにも苦しみに満ちている、そんな風に感じているように思える。だから、「愛」が全てを解決してくれると信じるしかない。犠牲を払ってでも救われたい。でないと生きていけない。

『卒業』の頃の尾崎(19歳)は、「愛」への信頼が勝っているように思える。『I LOVE YOU』等にも顕著に表れているように思うが、尾崎は「愛」を生涯を通じて求めてやまなかった安寧を与える、甘く喜ばしいものと捉えていような側面が感じられる。

しかし、歳を重ねるにつれて、その「愛」への懐疑が募っていく。不安や失望、悲しみが侵入してくる(『太陽の破片』)。10代の頃はまだ過去よりも未来が大きくて、失望よりも希望が大きかった。しかし、歳をとるにつれて、期待していたものとは違う現実が見えてきてしまった、というところだろうか。

続く『永遠の胸』では新たな「愛」が芽生える。引用部分やその周辺は、長男の誕生の影響を色濃く感じさせるものとなっている。「愛」というものがさらに深く、今までのものとは違うものへと変わってきているような印象を受ける。

ただ、力強い歌声からは自信も感じられるのだが(彼の歌声は並外れた表現力を持つ)、「それが全てを司るものの真実」と強く断言するところ等からはむしろ逆に、「愛」に対する拭いきれない疑念を読み取ることもできなくはない。破滅を予感させる影はここでも姿を消さない…のかもしれない。

愛を育んで 費やした日々
休むことも知らず 生きる答えは何故
ねえ教えて ささやかな人生の願いは 一つでも叶ったの
(『Mama, say good-bye』:1992年、尾崎26歳)

最後に注目したいのが、ラストアルバム『放熱への証』(1992年、尾崎26歳)のラストナンバー「Mama, say good-bye」だ。

これはタイトルの通り亡くなった母親についての曲だろう。当時の尾崎は周囲の人間に対する猜疑心が強く、事務所のスタッフをすぐに辞めさせていた。

そして、辞めたスタッフに代わって事務を引き継いでいた母親が、疲労から来る心筋梗塞で死去してしまう(享年61)。翌1992年、このアルバムが完成した直後に尾崎自身も26歳の若さでこの世を去った。死因には謎が多いと言われている。

「愛」はどれくらいを尾崎を救ったのだろうか。「生きる答え」は何だったのだろうか。

尾崎にとっての「愛」とは、男女関係のものだけではなく、夫婦の愛であり、親子の愛であり、未知のものに対する憧れを含んだ、切実な安寧・救済の祈りなのだろうと私は思う。


おすすめのアルバムを紹介。やっぱり十七歳の地図も良い。

十七歳の地図
尾崎豊
ソニー・ミュージックレコーズ
1991-05-15


初期の名曲が聴きたければこのファーストアルバムがおすすめ。「I LOVE YOU」「15の夜」「十七歳の地図」「OH MY LITTLE GIRL」「僕が僕であるために」などの名曲揃いで、かなり密度が高い。ダウンロード版もあり。

これらに比べると知名度は落ちますが、1曲目の「街の風景」もかなり良いです。時代の風景を感じさせるというか、街の吐息を感じさせるというか。私は尾崎世代ではありませんが、そんな人間ですら懐かしい気持ちになってくる。昭和という時代の情緒が詰まってます。そしてこれは尾崎の決意表明でもあります。孤独に満ち愛に飢えた男の、歩き出す姿が心にじわりと染み入ります。


20代の名曲がうまく集まっているベストアルバムも探したけど見つからなかった。そういった曲を聴きたい場合は、街路樹誕生放熱への証などのオリジナルアルバムを購入するか、iTunesやAmazonのダウンロード販売で個別に求めるという手もある。

誕生
尾崎豊
ソニー・ミュージックレコーズ
1990-11-15

ダウンロード版も。

ただ、Amazonの中古CDだとアルバム全体がかなり格安だ。早く一部の曲だけ聞きたい場合は割高ではあるがダウンロード販売がいいかもしれない。


あとがき:マスコミが作った「10代の代弁者」というステレオタイプな尾崎像は誤っている

確かに「15の夜」「卒業」は不朽の名曲だ。しかし、10代の頃からそういうタイプの曲だけを作っていたわけではない。もっと内向きで繊細な感じの曲もたくさんある。「僕が僕であるために」「シェリー」あたりが特に好きだ。当時の街の風景や匂いを感じさせる「路上のルール」等のような曲もある。

また私生活では結婚し、父親ともなった。動画サイト等では、30代後半の父親による「むしろこの年になって涙なしには聴けなくなった」というようなコメントも見かける。

余談だけど、昔の日本の歌って独特の哀愁があるのがいいね。ポップスやロックに限らず、アニソンのEDとかも。魔法陣グルグルの「Wind Climbing ~ 風にあそばれて」とか特に好き。


尾崎自身もマスコミを嫌悪していた。歌詞にもそれが表れていると感じられる部分がある。「俺は誤解されてはいないかい 俺はまだ馬鹿と呼ばれているか」(「シェリー」)等。私もステレオタイプな型にはめて尾崎を理解した気になるような立場については反対である。

もし(安直に・感情的に)尾崎を否定する人が本当に尾崎が苦悩したようなことをとっくの昔に乗り越えた大人で、尾崎を青臭い少年に過ぎないと断じるのならば、否定する人は彼の疑問に対して彼を満足させる答えを用意できていなければ嘘になる。その苦みに正面から向き合うかわりに、尾崎(や尾崎的なもの)を否定してはいないだろうか。

私は、彼のような「率直さ」「真剣さ」「泥臭さ」が本当に好きだ。そして逆に、「器用な立ち回り」「冷笑的」「本気じゃない」のような態度はどうにも好きになれない。ただ、尾崎とは違う形の苦悩もたくさんあると思うし、時代も変わっていくし、それについても貴いものとして尊重したいと思っている。真に自分が向き合うべきものから目を逸らしたり、わからなかったとしても、目の前にある叩きやすいものを叩けばいいという話じゃない。

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この記事を書いた人

konoha  konohaTwitter [ブログの更新通知も]note [毒々しい創作関連]

 「良い作品と出会い、より深く楽しむためのレビュー・批評、そして思い出」を発信しているブロガー。好きなゲーム・音楽・文学などを全力で語る。ニコ生と某掲示板ばかり見ている病的な面も。息苦しい国だけどマイペースに、人どうしの違いを大切に。 嫌いな言葉は「明るく」「協調性」「頑張る」。学校が嫌いだった。

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