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カジュアリティーズ [Blu-ray]

映画『カジュアリティーズ』をもう見た方や、見ようかどうか迷っている方に向けて、感想や評価をお届けします!

その組織の外部や後世の人々から見て、明白な悪の行為がある組織においては肯定されているとする。その行為の醜悪さに気づいた少数の人間がその行為を告発することは難しい。

この映画は戦争犯罪を題材にしているが、それだけにとどまらない現在にも通ずる普遍的なものを感じた。この映画で表現されていることは、論理をこねくり回し現実と乖離したような机上の空論ではなく、寝ても覚めても頭にこびりついて離れない生の悲鳴だ。

映画通というわけではない私がこの映画を観たきっかけは、あるサイトの名言集に本作の劇中のセリフ「何か勘違いしてる。いつ死ぬか分からない。だから何をしてもいいと。皆何も構わなくなっている。だがきっと逆なんだ。大切な事は反対だ。いつ死ぬか分からないからこそ、余計に考えるべきなんだ。構うべきだ。きっとそれが大切なんだ。」が掲載されていて興味を持ったからだ。

『カジュアリティーズ』(1989年、アメリカ、原題:Casualties of War)は、ベトナム戦争(1955年11月 - 1975年4月30日)において実際に行われた性犯罪について描かれたドキュメンタリー映画。監督はブライアン・デ・パルマ、出演はマイケル・J・フォックスやショーン・ペン等。

あらすじ

1966年、戦禍の最中にあるベトナム。そこはさっきまで話していた仲間が次の瞬間には物言わぬ屍に変貌し、毒蛇や毒蜘蛛が徘徊するジャングルを長時間にわたって強行軍することもある地獄のような世界。

偵察パトロール任務を受けたミザーブ軍曹(ショーン・ペン)の率いる分隊は、その途中で少女を誘拐して乱暴する。ただ一人少女を犯すことを頑なに拒み、彼らを非難したエリクソン上等兵(マイケル・J・フォックス)は、隊から孤立し裏切り者のように扱われてしまう。ひどく怯えた様子の少女に対し、犯行を止められなかったエリクソンは「I'm sorry.(すまない)」と繰り返すことしか出来なかった。エリクソンはなんとか少女を逃がそうとするが、結局少女は犯行の証拠隠滅のために殺されてしまう。

数日後、基地へ戻ったエリクソンは小隊を誘拐と乱暴の容疑で、中尉に告発するものの「それが世の中というものだ」と相手にされない。さらに命令系統を無視して大尉にかけ合うも「国際問題になる」として物事を大きくすることを嫌い、ミザーブ軍曹らを裁こうとしなかった。そして……。

タイトルの「カジュアリティーズ」(英語:Casualties)の意味を考える

「カジュアリティーズ」(英語:Casualties)とは、「(事故による)負傷者、死者、不慮の災難、不慮の傷害、奇禍。」を意味するcasualtyという名詞の複数形(Weblio辞書)。

私はこのタイトルを、戦争で傷ついた全ての人々を包含しつつ、死んでいった同僚、苦悩したエリクソン、暴行された少女を指すものとして受け止めた。もしかすると悪魔となってしまったミザーブ軍曹すら含むのかもしれない。


感想:組織の中における劣悪な行為と、それを告発することの難しさ

正しき者は、悩み多し。」(旧約聖書)や、「苦しみと悩みは、偉大な自覚と深い心情の持ち主にとって、常に必然的なものである。」(ドストエフスキー『罪と罰』)のような言葉を思い浮かべた。

ミザーブ軍曹らの行った愚劣な行為は許されざるもので重く裁かれるべきだと思いますが、ただ彼らを非難するだけに留まってしまっては問題は解決しませんし、同じような犯罪を減らすこともできないと思います。

この映画で描かれているベトナム戦争では、兵士たちは毒蛇が徘徊するジャングルを6時間も強行軍したり、さっきまで話していた仲間が次の瞬間には射殺されたり地雷で爆殺されているような緊張状態にあり、肉体も精神も疲弊しきっていたのだと推察します。

擁護するつもりはありませんが、きっと彼らも弱い人間だったのです。直接的に手を下した犯人を裁くのと同時に、そういう極限状態を作り出す原因となり間接的に犯行に影響した人間達にも、厳しい視線を向けて断罪する必要があると思いました。


演技面としては、ミザーブ軍曹(ショーン・ペン)の悪魔のような張り付いた表情と、エリクソン(マイケル・J・フォックス)のいろいろな感情が入り混じった複雑な表情が印象的。

犯行を止められず言葉の通じない少女に対して「すまない」と繰り返すばかりのエリクソンの無力感と、その行為を告発しても相手にされない憤激が悲しい。

また、ツイ・ツウ・リーが演じる暴行を受けた少女の「怯え」も思い出さずにはいられない。彼女にとっては、言葉も通じず同じ軍服を着た屈強な男たちは皆悪魔のように見えていたことでしょう。その中にいた、ただ一人の味方のエリクソンもなかなか悪魔と見分けがつかない。


2017年現在、日本では表立った戦争は起きていません。しかし、この映画で描かれたものとは程度や質は違うかもしれませんが、組織の中で隠蔽される愚劣な行為はむしろ頻発しています。もはやありふれたニュースですね。そういうの。

そしてこの映画で描かれたように、その行為を告発することは実に多大なる困難に満ちている場合が多いように感じます。

その組織の外部や後世の人々から見て明白な悪の行為が、ある組織においては肯定されているとする。その行為の醜悪さに気づいた少数の人間がその行為を告発することも難しい。その組織とは、家族であったり、会社であったり、日本という国であるのかもしれない。私はそんな風に現在の環境と重ね合わせながらこの映画を観ていました。

さらに、ネット上に掲載されている本作のレビューをいくつか見ましたが、同じような論点で語られているアマゾンの「戦争映画だが、すべての組織に当てはまる傑作」(ネタバレ注意)というレビューにとても共感しました。


最後に、劇中のエリクソンのセリフを再度引用して結びとしたいと思います。

「何か勘違いしてる。いつ死ぬか分からない。だから何をしてもいいと。皆何も構わなくなっている。だがきっと逆なんだ。大切な事は反対だ。いつ死ぬか分からないからこそ、余計に考えるべきなんだ。構うべきだ。きっとそれが大切なんだ。」

点数評価 戦争犯罪の実話を映画化した意義は大きい

点数評価:★★★★☆

戦争犯罪の実話を映画化する意義も大きく、ユニークな内容。キャストの演技も緊迫感があって良かったし、単純に見ていて面白かったので。



アマゾンレビューも高評価(44件・4.1点/5.0点中、執筆現在)。アマゾンはたいていの方がアカウントを持っているだろうし、すぐに・安く映画を見られるのでおすすめです。

他に高評価をした海外の映画のレビューには、エミネムの半自伝的映画「8 Mile」があります。ラップは低所得者・弱者の音楽であり、「カジュアリティーズ」に興味がある方はこちらも気に入るのではないでしょうか。

>>ラップファンが映画「8 Mile(エイト マイル)」を見た感想やレビュー。エミネムの半自伝的映画から「苦しい状況を脱するために行動する勇気」をもらった。

さらに、歴史的な暴力を描いた海外の映画には「グローリー / 明日への行進」があります。これは、黒人の差別に対する闘いを描いた作品です。キング牧師のもとに結集した人々が、拳銃をつきつけられようがなんだろうが、自らの当然の権利を主張するために行進します。

>>【映画/感想/評価】『グローリー / 明日への行進』(2014) われわれの創造的な抗議を、肉体的暴力へ堕落させてはならない(キング牧師)


  
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この記事を書いた人

konoha  konoha/コノラスTwitter [つぶやきと更新通知]note [喜怒哀楽に全力な日記]

 「良い作品と出会い、より深く楽しむためのレビュー・批評、そして思い出」を発信しているブロガー。好きなゲーム・音楽・文学などを全力で語る。嫌いな言葉は「明るく」「協調性」「頑張る」。学校が嫌いだった。近頃はnoteで、過去の重い話や好きなことで生きていくための歩みを書いている。

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