• このエントリーをはてなブックマークに追加
ネタバレ注意未プレイ者に向けた紹介はこちらWPP私選名言集(暫定版)はこちら







(意図的な空白)






ストーリー全体について

 ウェットな文章でつづられる、複数の異なるパースペクティブを包含した総合小説的なゲームだった。あるいは本作中で使われている表現を少し借りると、「シチューのように複数の異なる世界観、人生観が混ざり合い、またそれらが調和しているものを腹の中に入れることで新たに見えてくるものがある」。「痛み」や「復讐心」を本当に深く感じたものでないと描けない、「綺麗事」とは無縁のストーリー。そして深い葛藤と内省を経た「再生」。
 登場人物は皆いろんな想いや傷、後悔を胸に抱えている(無情な雨が降りしきるシーンがとても多い)。それをどう扱うかということはキャラクターによって違ってくる。そしてそれは、本作中に繰り返し出てくるモチーフの炎(すべてを焼き尽くす憎しみの業火でもあり、暗闇を暖かく照らし出す蝋燭の炎でもある)にも表れているように感じる。連鎖し燃え広がる復讐の炎と、時と場所を変えて繰り返されようとしている同型の悲劇。
 音楽は、ピアノやオルゴールの音色が印象的なメランコリックなBGM、壮大なBGM、晴れやかなBGM。そして要所で使われる『Seraphic Blue』と共通のBGM(「本歌取り」のように重層的に感じられ、胸が締め付けられる)。

 私ははじめ、「カラス」やマゼンタ、復讐者達を心の中で応援していた。彼らは私にとって非常に好感が持てるキャラクターであり、他人とは思えなかった。「綺麗事」(本作中で多用される表現)を語る奴らを含めて全てが"業火"で焼き尽くされ、後には何も残らなければいいと思っていた。徹底した自己正当化を行う温室育ちの人間の吐く、軽薄で卑怯な言葉を私は日々憎悪していたからだ(現代社会で生きていると、「頼むからこいつ死んでくれないかな」と思った経験は誰にでもあると思う)。
 聡明な知性と鋭い感性、それゆえに迎える苦悩と怒り、復讐心。本作の復讐に燃えるキャラクター達は皆、単なる馬鹿とは程遠い。むしろ知性も感性も優れている。私は彼らの発する言葉のほうが「綺麗事」よりも現実を正確に言い表していると感じていた。
 しかし本作の多くのキャラクター達は、復讐心に支配され身を委ねるのではなく、聖なる葛藤を経て現実の中を前を向いて歩んでいく。彼らは皆、頻繁に内省している。そして私も、新たに提示されたパースペクティブとともに内省せずにはいられなくなった(自分自身も「綺麗事」「軽薄な言葉」を吐いてはいないだろうか)。どのキャラクターのセリフもさらっと読み流すことはできない。実際、プレイ中に何度も立ち止まって深く感じ、考えずにはいられなかった。

 本作は、鋭い批判性を内包している。批判性がある作品は私は大好物なのだが、同時にバランス感覚も必要になってくると思う。作者が伝えたいメッセージを強調し過ぎてその部分が作品から遊離していたりすると、プレイヤーとしては無理やり現実に引き戻されて興ざめしてしまうということがしばしばあると思う。あるいは、登場人物が作者のメッセージを語るための血の通わない操り人形になってしまうというケースもある。しかし、本作ではそんな懸念は必要なかった。重厚でダイナミックな物語の中で、吐く息や心臓の鼓動さえ聞こえてきそうなキャラクターたちがしっかりとした自分の言葉で語ってくれる。そしてそんな言葉の応酬も、本作の魅力の一つだと思う。あえて実写の写真を使い、現実に肉薄してくるシーンもあるが、その部分も素晴らしいとしか言いようがない。

好きなシーン:セイスと光の剣など

 好きなシーンはたくさんあるがあえて一つ取り上げるなら、以下のようなシーンになる。深い後悔と自責の念に駆られ自死を求めていたセイスが「ハト」に出会い、「調子が狂った」といいそれを一時保留にしてレアムの村に立ち寄る。そこで出会う、シスター・ベルニースやグレーテル、「つつましく生活する美しい人々」たち。自己満足を求めているだけの善の押し付け、作り笑いと薄っぺらい不毛な言葉を心底嫌悪しているセイス。しかし、心の奥底まで暖かく響くベルニースの言霊(まさに"the words with great soul")。グレーテルから"ヒカリバナ"の薬を受け取るシーンは、私もセイスと同じように心を揺さぶられるような大きな衝撃を受けた。それはオフィーリアとの出会いの日、受け取ったあの薬に他ならないから。教会の屋根の上でのベルニースとの語らい。そして病に倒れるベルニース。その病を治すには精霊山の山頂に生えている特別な薬草が必要。そこは危険な場所。取りに行けるのはセイスのみ。そしてセイスは単身その山へと向かう。薬草は手に入りベルニースは快方へと向かったが、それで終わりではない。ブルハリスタの炎がレアムの村を焼く。命がけで村を守るセイス。そのかいあって、なんとか災禍から脱出する。ベルニースのおかげで再び歩き出すことができるようになったと語るセイス。そして現れるオフィーリア。「深く深く反省する真摯な気持ちと、その気持ちを実行に移す、行動する力」(オフィーリアの言葉)を持ち、「人一倍負の力が強かったからこそ光の剣を手にする資格がある」(ハトの言葉)、「(セイスは)自分に対して激しく思い悩んでいる。"善"に凝り固まった人にはできないですよ、それ」(キキの言葉)そんなセイスは、「光の剣」その名も"オフィーリア"を手にする。それは同時に二つの使命を背負う覚悟でもあった。一つは、自分の罪によって傷つけてしまった人の内面世界を豊かにすること。もう一つは、世界に秩序と平穏を取り戻すことだった。
 これが私の大好きなシーン。セイスが悩み苦しみながら、命がけの行動、そして強い覚悟で「光の剣」を手にするまでの一連の流れ。そして、許されざる罪を犯し自らの命を絶とうとしていたセイスが、二つの「世界」を背負う覚悟をし、「光の剣」を手にする資格のある、精悍で思慮深く、人の痛みのわかる人物になるまでの過程です。ここまで重い「光の剣」がかつてあったでしょうか? まさに闇に包まれた世界を照らし出す光そのものだ。

 それと妙に印象に残っているシーンは、ルーヴェンが「下手な絵」を描いて、それらを燃やして戦いに赴くところ。上手く言い表せないが深い情感を覚えた。 

プログレッション・バトルについて

 まさしく本作で語られる思想を体現したかのようなバトルだ。普通、メラゾーマを覚えた後は誰もメラなんて使わない。あるいは、サンダガを習得した後では誰もサンダーを唱えない。しかし、プログレッション・バトルにおいてはそうではない。"強い"スキルを発動するためには、"弱い"スキルを使ってプログレッションを繋げて「前進」していかなければならない。"強い"スキルだけを習得していても、そのスキルを発動させることはできない。単独では"弱い"スキルや行動が必要不可欠だと言える。そうなると、スキルが"強い"、"弱い"とはどういうことなのか、再検討することが必要となってくる。釈迦が語った「青色青光」の思想のようにそれぞれの個性を生かして、その結束を持って敵に立ち向かうというシステムになっている。

WPPにおける"善"について

 "善"というものは哲学においては古代からの大きな主題の一つであり、本作においては"善"と"悪"は相対的で移ろいやすいものとして描かれている。"善なる者"が「圧倒的な偏見を持って強固に抹殺しても構わない」と言い、"悪なる者"が語る夢は「弱者の救済」だったりする。この作品で語られる善とは、それらの調和がとれた均衡の「状態」であるようだ(哲学者の誰かの考えと似ている気がするが、忘れてしまった)。

最後に

 本作をクリアした時、優れた長編小説を読み終えたときのように心の一部がアップデートされたような感覚があった。そしてそれは、心持が軽くなるような種類のものであった。非常に元気や勇気がもらえた作品であり、この出会いと作者様には感謝したい。


 作者様のブログで紹介されていた「W175 N57」さんによるWPPの慧眼な感想・批評も読みました。この方の是々非々の態度で書かれた落ち着いた文章を読んでいると、私がいかに筆の勢いで書いているかということを痛感させられます。あとファフナー見てみようかな。
 こちらに関連したことを述べると、WPPの終盤において「出会いは人を劇的に変える」「孤立は耐え難い」といわれていたり、「リーズはトレスに、トレスはリーズに出会えて本当に幸せだった」というように表現されていますが、「じゃあ、そういう大切な人に出会えなかった人はどうすればいいの?」という疑問が私の頭の中の大きな空間を占めていました。そういう人、現代日本には多くないですか? 少なくとも私はその一人といえると思っています。マゼンタにとってのセイスや、「カラス」にとってのトレスのように、「出会うことはできたが、真に深い関係を結ぶことはできなかった」というケースもあると思います。そういう人たちが復讐の"業火"を燃やし尽くした末路、「綺麗事」だけでは済まされない残酷な世界の現実、マゼンタや「カラス」の最後の姿。私も彼女たちのことを何度も思い出すことでしょう。

 そしてもう一つ強調しておきたいのが、レヴェリオンの面々に(一時的とはいえ)マルメラドワや「カラス」がいたり、トレスが「カラス」を"仲間"だと語っていることです。彼らを安直に排除しないことが、とても重要なことだと思う。そうしない場所には、本当のPeaceはないと思います。



  
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
こちらも合わせてどうぞ

注目の記事

この記事を書いた人

konoha  konoha/コノラスTwitter [つぶやきと更新通知]note [喜怒哀楽に全力な日記]

 「良い作品と出会い、より深く楽しむためのレビュー・批評、そして思い出」を発信しているブロガー。好きなゲーム・音楽・文学などを全力で語る。嫌いな言葉は「明るく」「協調性」「頑張る」。学校が嫌いだった。近頃はnoteで、過去の重い話や好きなことで生きていくための歩みを書いている。

→→その他、詳しいプロフィール  →→初めての方へ。多様なジャンルから、おすすめ記事を29本厳選した。